未知日記霊話集千百九十六回 光明論 下巻 巻の十 波長の流れを調節すれば何者にも通じて共鳴す。故に縁とは情とも愛とも説きたるなり。即ち情は陰電と仮定せば愛は陽電の関係となると知らばうなずくことあらん。情と愛と結合してはじめて慈悲の発電を生ずと考へて修行修養すべし 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 それは別として情と愛は陰電と陽電との如き関係あるによって一体となり、その作用は即ち波長なり。波長の流れを調節すれば何者にも通じて共鳴す。故に縁とは情とも愛とも説きたるなり。即ち情は陰電と仮定せば愛は陽電の関係となると知らばうなずくことあらん。情と愛と結合してはじめて慈悲の発電を生ずと考へて修行修養すべし。又情を引力にたとふれば愛は圧力とも見られ、愛を引力にたとふれば情は圧力と見なしても可なり。是等の例によって情及び愛に関する意味はほぼ察するを得たるならん。汝等この肌着この中着を重ねたり。されば二枚の衣によってここに発電作用は整ひたり。さればこれより慈悲と云へる衣を纏はざるべからず。慈悲とは如何なるを云ふかについて説明すべし。汝等慈悲と云ふについての考へは高きより低きに流るる救ひの如しと思ひ居るにはあらざるか。即ち賢者より愚者に、智者より無智者、富者より貧者に、然して強者より弱者へとの同情を与ふるを慈悲と思ふならばあやまちなり。如何となればそは及ばざるをあがなふにすぎずして真の慈悲にあらず。慈悲とは賢愚智識の有無、或は貴賤貧富の区別を論ぜず。強弱の区も亦あらざればなり。汝等が思ふ如く高きより低きに流るるを慈悲とせばそは一方に偏すならん。慈悲は一方的にては成立するものにあらず。又慈悲とは斯る浅薄なるを云ふにはあらざるなり。我、先に慈悲とは愛のあらはれなりと説きて俄かに縁なき衆生は度し難しと横道に踏み入りたれば汝等は不思議の感に打たれたるならん。されど是には意味ありてなり。
 総じて我の語るところには意を用いて考ふべし。話の他に転じたる時は殊更意を用いて思ひを深くすべし。慈悲と縁と何の関係ありて斯くも枝葉にうつりしか、又宗教に迄くちばしをさしはさみしか、是にはもとより理由ありてなり。我は神を知るが故に汝等に過誤なからしめんがためにこそ斯ることをくだくだしく論じたり。即ち慈悲と縁とは非常に密接なる関係あり。縁の有無に不拘慈悲はすべてに和合して、是を同化せしむる威徳を具備す。慈悲には悪魔も善化す。故に慈悲は縁と不可分の関係あり。然るを慈悲をモットーとなす宗教者は縁なき衆生と説くによって、我は彼等に注意を与へたり。情愛(なさけあい)結合して慈悲となりて一切衆生に及ばば悉く同化して真の人道を歩むに至る。真の人道とは即ち神の家に通ずる道なり。

×

非ログインユーザーとして返信する