未知日記霊話集千百九十五回 光明論 下巻 巻の十 さりながら曲によって去りし者の好めるならば彼は耳を傾けて聞き居るなり。神の道はかくの如く通じて如何なる者にも縁を結ぶ故に縁なきものはあらざるなり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 汝等にして我言葉に気づきて反省せば、必ずや真の情(なさけ)真の愛は自覚するならん。何となれば情も愛も汝等の魂にその種子は蒔かれあるによってやがては発芽するなり。情(なさけ)は愛を生み愛は慈悲を生むと考へて工夫せよ。是を逆に考へて研究せば成功は困難となるべし。即ち慈悲心と云ふは愛のあらはれなり。宗教者が称ふる縁なき衆生は度し難しと云へる言葉よりも考へをめぐらさば是を察するところあるべし。
 もとよりこの言葉は神仏の教へならずして指導者の言葉ならんと我は思へど、縁なき衆は度し難しと称へ居るは事実なるべし。我の言はんとなすは他にあり。縁あると縁なきにも情を与へざるべからず。即ち来らざるものは度し難しと云ふならば指導者の言葉として尤と感ずれど縁なしと云ふならばそは真の情を知らざるなり。縁なければ度するを得ざるは当然にして、我の語るところは当然ならざるべし。されど我の教へんとなすは汝等の解釈とは非常なる相違あるなり。
 大凡宇宙の状態は個々に区分されてすべて別個の如く察せらるれど決して別固にはあらざることは屡々語りたり。例へば汝と彼と向ひて立つとも大地は一なるべし。然らば縁は大地によって結ばるともこじつくることを得ん。宗教者の縁とは己が宗教に対しての好ききらひにて集り来ると、厭ひて避くるを云ふならん。されど我の縁と云へるは斯る単純なるを語るにあらず。縁とは波長を指すなり。波長はその振動によりて融和す。さればその波長に適するを得ば通ぜずと云ふことなし。好むと好まざるは波長の如何による。神の道には縁を問はずすべてに通ず。我、先に「来る者は救ふべし。去る者は追ふベからず」と語りしを汝等は縁の有無によるならんかと思ふならん。是は縁あるが故に追ふべからずと教ゆるなり。何となれば音楽に於ても好む曲と厭ふ曲とは波長の相違より共鳴すると共鳴せざるによる。さりながら曲によって去りし者の好めるならば彼は耳を傾けて聞き居るなり。神の道はかくの如く通じて如何なる者にも縁を結ぶ故に縁なきものはあらざるなり。この理は汝等フク、センの門にて学びしならん。

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