未知日記霊話集千百九十三回 光明論 下巻 巻の十 即ち汝等が口にする日本人の大和魂(だいわだましい)と云ふ大和(だいわ)、即ち大和魂(だいわだましい)はこれ真の情(なさけ)を云ふなり。汝等のみが有する心にあらず。世界の人類は神より授けられし特性にてこの本能を有せざるもの一人としてあらざるなり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 然らば修養とは何かと深く観察せば情(なさけ)と云ふ薬剤に欠けたるところあるなり。一時の同情は一時の思ひ遣りにすぎざれば正しき情(なさけ)にあらず。故に直ちに消滅して通ぜざるなり。真の情(なさけ)を理解して施す思ひ遣りは心魂に徹して消滅せず、鬼神も是には化せらるるなり。されば情(なさけ)を知らずしては愛も慈悲も亦知ることを得ざるは当然なり。情(なさけ)愛慈悲を知らずして、正しくすぐれたる信仰を得ることも亦難かるべし。然れば是を明らかならしめざるべからず。情(なさけ)とは即ち清き心と文字にも示めされたり。されどそは日本人などに通ずるのみ。兎に角清き心は人間にあるものにあらず。真の清らかさは神にのみ有するなれば、その清らかさによって浄化せられざれば真の情(なさけ)は生れざるなり。人の本能は神によって造られたれば神に帰りてはじめて源に復す。源に復して本能に立ちかへれば清められて純正となるなり。純正となりてのち情(なさけ)の如何なるかを自覚するを得るなり。止むに止まれぬ情(なさけ)となるなり。
 世の中を救はずばあるべからずとの心は止むに止まれぬと云ふ真心、即ち汝等が口にする日本人の大和魂(だいわだましい)と云ふ大和(だいわ)、即ち大和魂(だいわだましい)はこれ真の情(なさけ)を云ふなり。汝等のみが有する心にあらず。世界の人類は神より授けられし特性にてこの本能を有せざるもの一人としてあらざるなり。汝等この理を明らめて速に神にかへりて情(なさけ)の下着を完全に肌に着くべし。
 次には愛についてなり。汝等の愛には憎みを伴ふ。是即ち愛に似て真の愛にあらず。真の愛には憎みを伴ふものにあらず。即ち絶対の愛ならざるべからず。故に憎むと云ふは絶対にあらず。愛すればこそ憎めざる底の大愛ならざるべからず。是ぞ神より受けし本能愛なり。情(なさけ)の心より愛は生ず。是和心、大和心の情(なさけ)あらば如何でか争ひを生ずべき。

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