未知日記霊話集千百九十二回 光明論 下巻 巻の十 汝等は好める煙草好める酒を廃して痛痒を感ぜざる底の情を肉体に与へあるか。然らざるべし。是正しき情を肉体に与へざりし結果なればなり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 例へば母に折檻せられて泣き叫ぶ小児を見て憐なりと感じて其子をなだめんとなすもその子はその情を受けず、せめらるる母が胸に抱かれんとなすものなるは何故なるかを観察し見よ。たたかれる母の情は大情なるによる事は察するならん。この道理を翫味せば想像の情(なさけ)は無機物の完全に配合なし居らざる事に気づくならん。又己自ら我と我同情なきことに気づかぬ事あらん。そは他ならず。平素汝等は我肉体に囚はれ居ながら我身に情をかけ居らざるを我は知る。汝等この言葉を聞きて不審するならん。我、汝等が平素の行為を見るにあまりに刹那的なる情にて甚だしきに至っては無情(むなさけ)なる事多きに哀れを感ずること屡々なり。己にして己に情(なさけ)をかけずして他に情を施すことを得んやとすら思ふなり。汝等は実は情と云へる事を知らざるにてはあらざるか。真の情を知るならば辛苦艱難はあらざるなり。汝等は好める煙草好める酒を廃して痛痒を感ぜざる底の情を肉体に与へあるか。然らざるべし。是正しき情を肉体に与へざりし結果なればなり。現今汝等の世界の医学にては結核と称する病は根治せしむる薬石なく、故にこの病に犯されたるは死はまぬがれずと考へ居るならん。故にこの病に犯されたる人の心理状態を見るに、初期の間はいささか亢奮状態よりわづかの希望を有し居るによって、他人に対しても感染せざるよう注意なし居れども病状悪化するに従ひて次第に心情に変調を感じ、他人の我を遠ざくるを怨むに至るは一般人の姿なり。従って他人が我に同情して「汝いたく衰弱せり。さぞ苦しからん」など慰めらるれば却ってその人を怨み、是に反して「汝の病状は我の予測せしに比してあまり衰弱なし居らず。この容態ならば近く全快するならん」など心にもなき世辞情を受けて、彼は情の厚き人よと喜ぶもこの患者の心理なり。是等の例に徴しても真の情を知らざる結果なりと知るべし。又神経痛にてなやむ患者は全く是とは反対にして医学上より考ふればさのみ疼痛を感じ居らざるに、その医師が患者に対して、「汝はあまりに我儘なり」など云はば患者はかの医師は無情なりとて怨み、又医者が心にもなき同情の言葉にてこの症状にては苦痛は普通人には堪え難し。汝は我慢強き者なりと云はれなば、却てその医師を信頼して薬石も効果をあらはすものなり。病苦は一なるに病状の相違によってかくも表裏の相違あるは己自ら真の情を与へざるによると考へらるるなり。即ち結核は死の恐怖より誘発する苦痛にて神経性は死を考へず、唯痛みのなやみに過ぎざれど是を統轄して考察すれば己自らは修養の至らざるに帰因す。

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