未知日記霊話集千百九十回 光明論 下巻 巻の十 情愛慈悲の三徳に信仰を伴はずば徹するものにあらず。信仰なき三様は恰もつくりあげし刃に等し。是を信仰の砥石にかけてとぎすまさざれば利剣銘刀の威徳はあらはれざるに等し 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 日本は日本を、米国は米国を、英国は英国を世界の王座たらしめんと諮るは即ち部分愛なり。利国愛なり。斯る愛は動物愛よりも尚低し。汝等の愛は自己より出でて家を思ひ、家より出でて国を思ひ、国より出て世界に及ぶ。この経路に多くの間違ひを誘発なせるなり。今や汝等は修行を重ねたれば、是を逆に逆上らんと尽力してすべて世界のあればこそ汝等の国はあるなり。国あればこそ家はあるなり。家あればこそ自己は安らかなりとの観念を起して是を養育せば、従って世界は安らかにして平和は永久に持続するは疑ふ余地なかるべし。大愛の中には小愛は包含せらるるとは汝等も知るところ、されば情も慈悲もみな大ならざるべからず。然しながら我の語る大とは限度を有せざるを指し小も亦限度なきを云ふなり。
 情愛慈悲の三徳に信仰を伴はずば徹するものにあらず。信仰なき三様は恰もつくりあげし刃に等し。是を信仰の砥石にかけてとぎすまさざれば利剣銘刀の威徳はあらはれざるに等し。即ち信仰は情に和しては情を大ならしめ、愛に和すれば愛の力を増さしめ、慈悲に和すれば慈悲を広くす。然してこの三つの結合に和するも従ってその全部のはたらきを強固ならしむる力を有するなり。かるが故に信仰の徳は善悪に通ず。されば悪にも亦善にも通じてはたらくにより、一朝あやまてば悪に和して危く顛落することもあり、是を迷信仰と云ふなり。汝等誤信の帯をしむることをなさざる用心肝要なり。誤信の帯をしむれば情(なさけ)も無情(むなさけ)となり、愛も無愛(むあい)、慈悲も無慈悲と変じ憎しみ妬み怨み等の悪意に変ずる怖れあるに依て慎まざるべからず。我、斯く語らば汝等信仰は一すじなりと説きたるに二すじ三すじにも分るるにてはあらざるかとの考へを起すならん。一すじなるが故に悪信には悪一すじ、善信には善一すじとなる関係あれど即ち帰するところは一なり。

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