未知日記霊話集千百八十九回 光明論 下巻 巻の十 汝等は高等動物と自惚るるならばこの情この愛この慈悲を拡大せよ。汝等はあまりに部分愛に囚はるるにてはあらざるか。部分愛は他に対して無情(むなさけ)無愛無慈悲となるを知らざるか 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 此三枚の衣を完全に纏ひたる人ならば、其人より放射する霊気にて一切衆生は同化せられて病めるものは病治癒し、苦むものは其苦を度脱し迷へるものは夢さめて明朗となる力あるなり。何となれば三つの徳には悪魔も屈するに依てなり。霊光の威徳は斯くも大なるはたらきあり。肉体の価値を論ずること勿れ。又肉体の価値にて定むるものにあらず。霊的価値は肉体に関係なければなり。用法によっては毒も変じて薬となり、又薬も変じて毒となることは汝等もよく知るところなり。されば此三つの薬も一時に多量を服用したりとて、直ちに効果のあらはるるにあらず。又寒しとて衣を重ぬるも直ちに暖くはならざる如く三枚の衣を纏ふとも即座に暖を覚ゆるものにあらずと知るべし。情(なさけ)愛慈悲の調剤は多量に服用なしたりとも毒にはならず。さればとて効果は顕著にもならざるなり。此薬剤は持続するによって利目は顕著となるなり。この衣は又纏ひて時を経るに従ひて寒暑の苦をまぬがるると知るべし。
 人は人間を中心としてすべてを処理するによってあやまてること多し。他の動物に於ても亦其々の役割あり。又彼等同志の約束の定めもあるなり。汝等も知る如く鴛鴦(おしどり)或は鶴と云へる鳥は一夫一婦交はりて他に姦せずと云ふにてはあらざるか。事実は兎に角人間は然らずとせば鳥にも劣るならん。そは別として我の語らんとするは他にあり。鶴も鴛鴦も愛情のこまやかなるについてなり。しかのみならず彼等の子を愛する熱意は人間の比にあらざる事も汝等は知るならん。さればこそ汝等は動物愛などと称して人間の中にも子煩悩者を或意味に於ては嘲笑的代名詞にすら称へ居るならずや。汝等は此動物の愛情を本能愛と一言詞なしてあまり是を重視しあらざるを我等は遺憾とす。何となれば汝等に於てもこの本能はそなはれるによってなり。然るを汝等はいささかの智識を有して訳もなき事柄を見聞してこの個性より遠かりあるは愚なる事ならずや。然して世の中を組織するに益々軽佻浮薄となして果は相争ひ流血の惨事を惹起すなどは、畜類よりもはるかに下劣なりとは考えへざるか。汝等の世界に共通するは情愛慈悲は何処も同じならん。汝等は高等動物と自惚るるならばこの情この愛この慈悲を拡大せよ。汝等はあまりに部分愛に囚はるるにてはあらざるか。部分愛は他に対して無情(むなさけ)無愛無慈悲となるを知らざるか。

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