未知日記霊話集千七百七回  帰途案内記 NO127 火災震災水害等々によつて年々人命を損傷し居ることの多きも、是完全ならざるが故なり。然るに九流界の下部にをかれある処と雖も、今日にては斯ることに対して、斯くも歎はしき事は一としてあらざるなり。すべてのそなへは完備して天災に対しても決して人命その他を損傷するものにあらず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 127 セイキョウ貴尊 講述                       世人の世界は(地球)は種々様々のそなはりありて交通の便或は他のものに対してそなはりあれど、そのそなはりの悉くが果して完全無欠とは云はれざるべし。陸には車馬のそなはりあれど是等によって安全なる交通すらなすことを得ざるならん。世界中(地球)に交通事故によつて…

未知日記霊話集千七百六回  帰途案内記 NO126 汝等の世界より一階進みたる処を九流界と名づくるなり。さて九流界と云へば唯一個の如く考ふれば、そは誤解にして九流界と雖も一様ならず。数多存在なし居るなり。されば何によって斯く定めしかと云ふに、即ち智慧の程度によりて是を定めたるにて、九流界と雖も数多ければ従ってその生活或は風習など、その悉くが一様ならざる事も諒しおくべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 126 セイキョウ貴尊 講述                       全宇宙の中に存在せる世界の悉くを部分的に説明して、宇宙の何処には何々の世界あり。其世界の位置は太陽より方向を定めて彼是と其位置を語るとも、世人には到底理解する事も難く、又我等が是に対してその一々を説明する方法も極めてむづかしければ、是等の事は省略するの他…

未知日記霊話集千七百五回  帰途案内記 NO125 滅せざる魂を滅せざる処に到らしめなば、其にて我等の任務は達成せらるるが故なり。されば世人は我説に耳を傾けて、信不信は兎に角聞きをくに止むるも可ならん。又信じて疑はず到る処迄到るも可ならん。何れにもあれ、我等の任務として伝へをくなり。世人にして我説を聞き、その順路を辿りて歩みを進め居らば、決してあやまたしむる事はあらざるなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 125 セイキョウ貴尊 講述                       余事は別として上界に上らんとする転界法には完全なる稔りを、魂に得せしめずば望は叶ひ難し。ここにも亦注意なしをく事あり。魂を原子の学説より研究して、滅不滅の議論を戦はす日も近きにあらん。されど原子によつて魂の如何を云々すとも、其は到底望まれざる事なり。是等…

未知日記霊話集千七百四回  帰途案内記 NO124 太陽は現出してより今日迄通算すれば三十二億五千万年余となり、地球が別れて二十三億七千八百有余年と教へをきたり。然るに現今の学者は太陽生れて二十五億年、地球生れて十七億年と通算なし居れり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 124 セイキョウ貴尊 講述                       我、慈音に対して語りし、太陽は現出してより今日迄通算すれば三十二億五千万年余となり、地球が別れて二十三億七千八百有余年と教へをきたり。然るに現今の学者は太陽生れて二十五億年、地球生れて十七億年と通算なし居れり。我の説と学者の説とには斯くも隔あり。其は現今…

未知日記霊話集千七百三回  帰途案内記 NO123 さりながら宗教に依て正しき転界は、得られると思ひあやまらば、其は誤解なり。宗教はその処に存在する間のみにして、転界には何等の関係あらざるなり。故に宗教は一代果なりと云ふも敢て過言にはあらざるなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 123 セイキョウ貴尊 講述                       正しき拝みをなしてこそ正しき処に転界することを得るなり。信不信は汝の心にあるなり。世の中には多くの迷信邪念等々あれど、其を正しと信じて己に利することを得たる人は、其は迷信邪信と思はるる事も彼にとりては正信となりたるなり。さればこそ汝等の世界には邪宗教がは…

厳戒の辞の説明文を転記する

   今から40年前に、この未知日記書の書を自費出版された、その中の一人である坂井哲子先生を知りました。その先生のお陰で私のような無能の者でもこの書を読む事が出来るようになりました。先生との邂逅は私の人生を大きく変えてくださいました。その慶びをすこしでも皆さんにお裾分けしたいのです。私は無名の一野人ですが帰途案内記に掲載されている厳戒の辞の説明文をいまネットに流したところです。この内容を一人でも…

未知日記霊話集千七百二回  帰途案内記 NO122 厳戒の辞の説明 世人はこれらの教へを受るに当たり、唯然あるかとのみにて耳をかすめなば、勿体なき事にて所謂猫に小判の譬喩とならん。心して勿体なし、有難しとの思ひを充分心に貯へて教へを受くべし。軽率に聞き流し軽率に取り扱ふことなかれ。もし軽率に取り扱はば転落する憂ひあらん。語る者は一心不乱なり。聞く者一心不乱ならざるべからず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 122 厳戒の辞の説明 <この書の眼目一大事を見逃すなあなたにとって百年の福徳 > セイキョウ貴尊講義                         円海が会員に対して尺度計を与へると語り居りしは、即ち厳戒の辞を正しく用ゆる方法を語りしにて、普通の目盛りしたる尺度計と異なり。是が念力を一段一段と強からしめて、信ずる力を強力に…

未知日記霊話集千七百一回  帰途案内記 NO121 チとシュの間の無音は、所謂祈念発願の音なれば、要はこの無の音に帰する事の大切なるは、推して知ることを得るならん。然して後の七つが、その祈念発願の意味を、完全に相手方に納得せしむる要具なるが故に、現はしかたの如何によっては、先方は聞き届け呉れるか、或いは聞き届け呉れざるかの、何れかに終る セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 121 厳戒の辞の説明 重要記事          セイキョウ貴尊 講述                       先づ、チと云ふ言葉は相手方に対して、我より語らんとする合図の言葉にして、シュとの間の無の音は、是より語らんとする目的の意味を、心に工夫して言葉に組織せんとなす間のゆとりに相当す。然して後のシュの音にてそれが言葉…

未知日記霊話集千七百回  帰途案内記 NO120 八大門の名称チ、シュ、キュ、ジョウ、ギョウ、コウ、フク、センの僅少一五文字にて全宇宙のすべてを尽くし、きわめある事と承知せよ。我等は是を厳戒の辞と語りをきたり。この言葉は信力にも会ひ、法力にも会ひ、その他森羅万象悉くに通ずる神語なりと思ひて、軽率の取り扱ひなさざるよう注意なしおくものなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 120 厳戒の辞の説明 重要記事          セイキョウ貴尊 講述                       今是を簡単に汝等日本人にわかり易く説明するならば、チの基音を一越として更にシュを平調調、キュを下無調、ジョウを双調調と云ふが如く考ふるも可ならん。又易学にてチを乾としシュを兌としキュを離ジョウを震と見なすもよし…

未知日記霊話集千六百九十九回  帰途案内記 NO119 財宝少なき国は戦々兢々として安からず。為に財宝ある国に媚び諂(へつら)いて、救ひの手を求めんと計る如き、醜き行為をなし居るにて一日とて安楽なる日をすごし居らざるなり。斯る姿は今後と雖も持続するならん。真に憂うべき事にてはあらざるか。是等は正しき宗教の具備あらざるによつて、斯る乱脈なる姿に化せられ行くなり。もし正しき宗教ありて世界一般に普及して人心を安からしむれば、今後は多くの物資を他の有益なる方向に作り出して、武器などは影をひそむる結果となる道理を、考究しては如何にと我等は願ふものなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 119 セイキョウ貴尊 講述                       即ち汝等の世界は十一流界より十流界へと進化なし来りたるにて、もともと始めより十流界にはあらざりしなり。是を自然の姿と云ふなり。自然の中に不自然と云へるものの具備あるによって、向上発展はなさるるなり。自然は不自然をつくる。即ちその姿こそ自然の現はれに他なら…

未知日記霊話集千六百九十八回  帰途案内記 NO118 所謂原始時代より現今に至る迄何億年かの廻転なしたる地球は、進化なし居るにてはあらざるかを想像せば、自づと理解は易からん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 118 セイキョウ貴尊 講述                       我今チより出でてチに帰り、シュより出でてシュに帰ると云ふ言葉を用いたり。是に対しても亦不審するならん。すべてものの始りは千より生ずるものならば、シュより生ずるものあらざる筈なりと。是は尤の如く思はるれど事実はさにあらず。シュより生るるとは既にチの領土を越…

未知日記霊話集千六百九十七回  帰途案内記 NO117 されど天界は永久不変なるが故に、乱雑に見ゆれど決して乱雑にはあらざるなり。八大門の順序は無時間無距離の順序にて、世人の考ふる如くならば、その順序は時間距離を有する姿となる。相対と絶対とにはかく相違あることに心して、我説を聴かざれば悟ることは容易ならず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 117 セイキョウ貴尊 講述                       斯く語らば世人は天界とは不規律の処にて順序あるが如く又なきが如き感を抱くならん。即ち相対性世界より推して絶対性を考ふる時は、斯くの如き念を抱くは当然なり。世人の世界は順序あるによつて規律正しく見ゆれど、其有様は滅却の方向に向ひて進み居るが故に或は順となり…

未知日記霊話集千六百九十六回  帰途案内記 NO116 安楽より安楽へと望むは凡ての生あるものの思ひならん。されど苦ありて楽を、楽ありて苦をとその境涯を超ゆるにあらざれば真の安楽は望まれざるなり。苦楽の悩みを味はひつつ進む事によって真の安楽境に入る事を得るなり。是を正しき転界と云ふなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 116 セイキョウ貴尊 講述                       全宇宙に無始終霊子なくんば宇宙も組織せらるるものにあらず。斯る大自然のそなはりあるによって自然より自然、更にその自然より分れて不自然等々が生じたる結果、複雑なる姿に組織されて尽きる処はあらざるなり。斯る微妙なる組織なるが故に、人生は苦もあり又楽もあるなり…

未知日記霊話集千六百九十五回  帰途案内記 NO115 空の中は空の実在あり。故に上界には様々の異なれる世界は、現出なし居る事に思ひを致さざるべからず。汝等の世界に現今やかましく用いられ居る原子爆弾の如きものを以て、肉体は飛散すとも魂は傷けらるるものにあらず。もしその魂が未熟のものならば傷けらるる憂あれど、完全なる魂とならば決して飛散するものにあらず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 115 セイキョウ貴尊 講述                       空ならんとせば空に化し、実ならんとせば実に化する自由の境涯を、永久続くる事を得るなり。所謂空源と実在とをつなぐ中間空にて永久変化する事なし。故に絶対となりて時間空間を有せざるものに化せられて滅することはあらざるものに化せられて滅することはあらざるなり。空…

未知日記霊話集千六百九十四回  帰途案内記 NO114 己はすべての具はりあるによって自在に活動することを得るならん。魂は恰も其の如し。滅後は透明人間の如きを想像して考ふるも可ならん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 114 セイキョウ貴尊 講述  一切空なりとせば一切は平等なるべし。宗教者の語る空とは一切空にしてその空はすべては一なりと説き居るなり。ここに我等の語る空と宗教者の語る処とには相違あるなり。もとよりすべては空に帰す。是は自然の法則なり。我等が世人に教へんとする処は、その自然の内にそなはりある一種の中間性自然空を教へんとなすなり…

未知日記霊話集千六百九十三回  帰途案内記 NO113 我等は霊魂不滅の理論を蝶々すとも、現在の学者にすら徹底せしむる事は至難なり。されど我等は死せずして今尚生を有すのみならず、天界に生存なし居るものの余りに多きを知る。故に我等は事実に於て霊魂は不滅なりと語り居るなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 113 セイキョウ貴尊 講述                       我、慈音を如意界に導きたる時、慈音は我に向ひて、「ここは地球のうちに存在する処か」とききたる事あり、我、然りとも然らずとも答へざりしが、是を地球より幾十億里かの処なりと語りなば、慈音は驚愕して戦く他なかるべし。距離の有せざる処を、距離より測定して語るとも…

未知日記霊話集千六百九十二回  帰途案内記 NO112 仏教の如く或はキリスト教の如く極楽天国を語り居れど、帰する処は娑婆に存在する間の人道を全うせしむるのみにて、極楽天国は想像によって語りたるのみなるが故に、其は宇相(有相)にすぎず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 112 セイキョウ貴尊 講述                       この信の力のはたらきを応用して正しきに進めば、生は正しく延びて栄あれど、一度あやまてば生は暗黒をさ迷ひて、際限なき苦みを味はふ結果となるによって、宗教は正しきを択ばざるべからず。宗教の神髄を一言にて喝破するならば、即ち信の力をおこさしむるを目的となし居る…

未知日記霊話集千六百九十一回  帰途案内記 NO111 肉体を異国の地にをきて故郷の妻子を思ふ時、既に肉体と心とは分離せられて肉体は異国の地に、心は我家に帰り居るにてはあらざるか。是即ち転界なしたる姿なりと知らば可ならん。異国の地にありて故郷の妻子の有様を空想する時、妻子亦汝の身の上に思ひをいたし居るならば、相互の心が一体化して空想ならぬ真実を生むこと、しばしば体験することはあらざりしか セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 111 セイキョウ貴尊 講述                       そもそも上界の悉くが安楽の場所かと云ふに然らず。即ち転界とは汝等が住める世界より他の世界に移転するを云ふにて、上界に上ると云ふは安楽の世界に住するを云ふなり。上界へ上ると又転界するとはかくの如く相違あるなり。我等世人をして上界に昇らせんと計り居るにて、他…

未知日記霊話集千六百九十回  帰途案内記 NO110 人はすべて健全なる間は種々様々の言葉を口にして、悟りたる如く他に感じを与へしむるのみにて、事実はかくも簡単なるものにあらず。無智者にして信仰厚き人は、却て生死を明らめ居る人は多し。僅少なる智慧をはたらかせ居る人は、却て生死を厭ふもの多し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 110 セイキョウ貴尊 講述                       さて肉体を有する間に修養を重ねて、来世の如何なるかを知ることを得ば、肉体を有する間より肉体と共にその喜びを味はふことを得るならば、此上もなき幸福なりとは考へざるや。我等世人に語りし如く肉体亡びての後の修養修行は、至難なれどたとえ苦しくとも肉体を有する間に…

未知日記霊話集千六百八十九回  帰途案内記 NO109 山に登る者の心持ちは、山の神秘を味はひしものならでは測り知ること難し。一つの山に登りてすら斯くの如き体験を有す。まして人道の全きを踏み超えたる者にあらざれば、人間の幸福の程度は如何なるかを知ることは難し。人道をきはめて頂上に達し、更に転界して又もその階の大道につく其時の新らしき感想は、世人には到底測り知ることを得ざるなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記        巻の二 転界の巻  NO 109 セイキョウ貴尊 講述                       即ち肉体の福徳は得らるるとも、心魂の福徳を求めんとなす人は少なし。心魂の福徳を得てはじめて肉体を満足せしむることは得れど、肉体の福徳によって心魂の安定を得る事は難し。されば心身共に福徳を得んとならば、先づ心魂にまかせて肉体を是に伴はしむれば、大道の歩みは…