未知日記霊話集千八百二十回  帰途案内記 NO236 世人の宗教に於て語り居る神と云ふは、九流界の人類の如きを考へ居るらん。然して是等の考へより天国或は極楽を聯想して信仰なし居るが故に、正しき宗教は現出せざるなり。世人の眼より見る時は、九流界は天国にも見え又極楽にも見ゆるならん。斯る所は天界の最低位に属すと知るべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界     
セイキョウ貴尊 講述
                     


 世人の世界は光素の分れたる光気素の方向に向ひ居るが故に、表裏の関係ありて其に於ても、世人の世界と同様の関係にて生活なし居るもあるなり。されど是が次第に進化して純光素純気素の位置に上りなば、純光気素或は純気光素の世界となる。更に進んで其が気素光素一体化して最高位に達しなば、ここにはじめて霊空界と変じて空源体性の位置に上ることを得るなり。是即ち二流界なり。既に二流界ともならば時によりては光気素のはたらきをなし、又気光素のはたらきをなさしむることも自由に行はるるが故に、人生は全きを得るなり。
 世人の世界の如く種々様々の機械を用いずば、何事もなし得られざるが如き姿とは異なり、機械を用いずしてすべての事をなし得らるる二流界の人類となりてこそ、其はたらきは宇宙全土最大洩さず自由に事を運び得る力を備へて、ここに初めて人生を全うすることを得るなり。されど是等のものと雖も神にはあらざるなり。唯神の力をかり神の命に従ひてことをなし居るにすぎざるなり。斯く聞かば世人は是等を真の神なりと思ふならん。さればこそ世人は神をあやまち考へて、正しき神とは何なるかをも知らず、己の心にひき比べて神を小さく評価して崇拝なし居るが故に、迷信に囚はれて却て信仰をあやまつこと多し。慎まざるべからず。
 世人の宗教に於て語り居る神と云ふは、九流界の人類の如きを考へ居るらん。然して是等の考へより天国或は極楽を聯想して信仰なし居るが故に、正しき宗教は現出せざるなり。世人の眼より見る時は、九流界は天国にも見え又極楽にも見ゆるならん。斯る所は天界の最低位に属すと知るべし。斯る信仰なし居りては肉体滅後に於てのみ、斯る安楽境を求むるの他なからん。されば我等の説を聞きても其有様を、己が心に取り入れて理解することは難かるべし。肉体を有する間にせめては三流界以下の事柄を聯想して修養なし、然して肉体消滅せざる間に九流界をつくる事に努力せば可ならん。

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