未知日記霊話集千八百十九回  帰途案内記 NO235 現代の宗教者は神を種子にして多くの物品を集め、其を一般に施さんとはせずして己着服して贅沢をなし居る輩多し。斯るあやまちたる宗教は早く影をひそめん事を望むものなり。神より授けられたるものを神に返へして神は何ぞ喜び給はん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界     
セイキョウ貴尊 講述
                     


  世人の拝みは慾望の拝みにて、何か物質的のものを得んとしての拝みなるが故に、却て拝みのために心に傷くること多し。もとより悩みを排除せんとする拝みは一種の慾望なれど、貪欲の拝みとならば却て悩みを増す結果となるなり。ものには分度あるが故なり。空腹には堪え難き時拝みなし居りしとて腹は満たさるるものにあらず。斯る場合は直ちに食をとる。是即ち拝みなり。自然は汝等に与ふべき食を与へ、凍えしめざるやぅ衣を与へ居るにてはあらざるか。然るに自ら其ものを受くる底の働きをなさずして、其物だけを得んとなすとも自然はこれに恵みの報酬を与へざるは当然なり。己報酬を得んとならば其だけの務めを果すことに意を用いよ。然らば報酬は得られん。世人は喰はんがために働きをなすが故に困却を感ずるなり。働かんがために喰ふ底の務めをなし居らば、其に対する報酬は必ずや受けらるるならん。余事はとにかく近代の世相は自然を曲げたる行ひをなし居るが故に、本末顛倒して争闘の断え間なきはすべて理に合はざる行為を敢てなし居るが故なり。
 現代の宗教者は神を種子にして多くの物品を集め、其を一般に施さんとはせずして己着服して贅沢をなし居る輩多し。斯るあやまちたる宗教は早く影をひそめん事を望むものなり。神より授けられたるものを神に返へして神は何ぞ喜び給はん。全宇宙はすべて神の手によって造られしものなれば、是によってすべてのものが生活なし居らば、神の意に合ふなり。斯る分り切りたることを彼是迷ふは即ち迷信と云ふなり。神より与へられたるものを神に返へすの用なし。又神より与へられたるものの外に、多くのものを得んとするも其は貪欲にして神の許し給はざるところ、与へられたるものは有難く受けて可なり。余分のものを求むる如きことは許されざることに心して、多くの報酬を得んとならば其に相当する務めをなして、然して多くの報酬を受くれば可ならん。話は横道に入りたり。もとにかへすべし。

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