未知日記霊話集千八百十回  帰途案内記 NO226 座禅静座して心を沈静するは即ち塵埃を清除する方法なるべし。書を読み経を唱へ祈りをなすも是又排出の方法に属す。自問自答又然り。汝等幼なかりし頃は何事を見聞なすとも記憶力が旺盛なりしならん。然るに年長けての後は如何 !  今聞きし事も瞬間にして忘却し居るにてはあらざるか。濁りたる心なるが故に何事をも記憶する力、乏しくなり居る事に留意せざるべからず  セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
セイキョウ貴尊 講述
                     


 座禅静座して心を沈静するは即ち塵埃を清除する方法なるべし。書を読み経を唱へ祈りをなすも是又排出の方法に属す。自問自答又然り。汝等幼なかりし頃は何事を見聞なすとも記憶力が旺盛なりしならん。然るに年長けての後は如何 !  今聞きし事も瞬間にして忘却し居るにてはあらざるか。濁りたる心なるが故に何事をも記憶する力、乏しくなり居る事に留意せざるべからず。心混濁するが故に肉体の神経は緩慢となり、ために肉体組織に迄変化を及ぼして吸収力が減退なし行くなり。故に魂に迄通ずることあたはず。是を我等に云はしむれば魂に背をむけ居るが故なりと云ふなり。世人は修養々々と称して種々様々の塵埃を多く取り入れ居るによって、却って大切なるものを汚損し、ためにそのものを枯死せしむるに至ること多し。座禅静座も必要なり。読書読経も又必要なり。されど塵埃を多くせざるやぅ平素の心がけさへあらば、座禅静座の要も亦なかるべし。余分のものを取り入るるは塵埃を徒らに積み重ね居るにすぎず。平素の心がけ一つにて余分の不要なるものをとり入れずば、常に身心魂共に浄化せられて清らかとならん。
 是には自問自答或は拝みすることによって、間断なく油断なく掃除をなし居らば可ならん。空になれとか、或は精神統一とか語り居れど、一般の世人には到底望まれ難きことなり。無我の境或は禅定三昧など云ふことは、口には易けれど行ひには難き故なり。日々衣食住の生活に追はれながら、禅定三昧とか無我の境とか云ふ如き修行は、一般の世人にはなり難し。されば他に方法なきかと云ふに然らず。我等が語る自問自答或は拝みの法ならば如何なる事をなし居りても、その傍らなし得らるる修行なるが故に、知らず知らずの間にその居に達することは、我等は保証するものなり。

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