未知日記霊話集千八百四回  帰途案内記 NO220 空中楼閣に住居なして、この場所を極楽なりと思ひ居ると聞かさるれば、夢物語りの如く思ひて、これを学理より研究せんとする人はあらざるべし。唯錯覚作用ならんと一言にして顧みざるならん。錯覚作用にもあれ、其ところに安住せんとなす其原理を追求して、深く考へ居る人はあらざるべし。若し斯ることの有無は兎に角心理的に考案工夫して、是を科学の方面に応用するならば、何かそこには新らしきものを発見するとは考へざるか セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界

瞬間破壊があるならば瞬間組織もある
セイキョウ貴尊 講述                     


 時間空間を要するものを作り出したるが故に、時間空間の必要あれど、その中に於て時間空間の要なきことを考ふるならば、自然は其中に深き意味を有して持続なし居るが故に、絶対自然の流れが時間を有するところにも含まれあることを認識するにあらざれば、到底大なる事業は完成するものにあらず。されば世人の世界に於てもこの絶対自然のそなはりが含まれあることに着目せよと教ゆるなり。
 自然と不自然の中に絶対自然の流れのそなはりある事に意を用いざるべからず。雷鳴の起るも自然の中に含まれ居る絶対自然のそなはり居るによってなり。空の力には眼に見えざる大なるはたらきを有するが故に、近来世人のさわぎ居る原子論が盛に噂に上り居るにてはあらざるか。かかることは二流界の人類に至ってはわずかに一部分にすぎず。是を広く順逆共に用いてすべてに渡って、その原理より大なる発見をなしたる結果、組織の方法を既に完成なして、時間空間の必要を感ぜざるに至り居るなり。
 前巻にも語りし如く宗教の信仰より、空中楼閣を作りて是に住居なし居ることを話したり。世人は此理を知るや。空中楼閣に住居なして、この場所を極楽なりと思ひ居ると聞かさるれば、夢物語りの如く思ひて、これを学理より研究せんとする人はあらざるべし。唯錯覚作用ならんと一言にして顧みざるならん。錯覚作用にもあれ、其ところに安住せんとなす其原理を追求して、深く考へ居る人はあらざるべし。若し斯ることの有無は兎に角心理的に考案工夫して、是を科学の方面に応用するならば、何かそこには新らしきものを発見するとは考へざるか。
 すべて宇宙に存在する唯物的のものと雖も、是を仔細に検討すればすべては錯覚作用なるべし。形ありと思ふも帰するところは錯覚にてはあらざるか。有無みな悉く霊に帰せばすべては錯覚なりしと思ふも可ならん。今ここに汝は姿を現はして立つ。其が何かの作用に依て其姿失はるれば、其は錯覚なりしと云ふもこじつけの理窟にはあらざるべし。生と云ふも死と云ふもすべては、錯覚に依る迷ひに他ならず。幻影によって空中楼閣を造り其に居を占めて、楽しく過すと思ふも是又錯覚作用なるべし。霊にかへせばその悉くが皆一様となる。思へば味気なき世にてはあらざるか。今汝は写真機の前に立つ。是をレンズを通して見る時は、汝の姿が逆になり居るにてはあらざるか。然りとせば事実は何れかと聞かれなば其順逆を定めること難からん。肉眼より見る時、わづかの事にてもかかる相違あるならん。ありと思ふも迷ひなり。なしと思ふも亦迷ひなるべし。

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