未知日記霊話集千八百五回  帰途案内記 NO221 人間の進化論を究め尽さば即ち二流界の処迄到達するにあらざれば、宇宙の如何なるかの真実性を理解すること難きはもとより、兎に角人間の極致と云ふは二流界の上位迄上らざるべからず。前途は長し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界 人類の極致へ

セイキョウ貴尊 講述                     


 是等に関して学理より種々様々説明をなし居れど、帰するところは理窟にすぎざるべし。汝の眼は正しきものを見る事あたはず。汝の耳正しき声を正しき音を聞くこと難し。是即ち心の迷ひなるべし。正しき心とは何によって現はさるるや。即ち心は魂に魂は霊にと順次逆上て、是に和するにあらざれば真理を究むること難からん。すべてを心にまかせをきては、表面にのみ囚はれて内在の真相を探ることとあたはずして無為に終らん。人間の進化論を究め尽さば即ち二流界の処迄到達するにあらざれば、宇宙の如何なるかの真実性を理解すること難きはもとより、兎に角人間の極致と云ふは二流界の上位迄上らざるべからず。前途は長し。さりながら此理を認識せば長きにあらず。宗教の語る極楽とか云へる世界は何処にある。!  世人の智慧にて考へ出したる極楽はわづかに九流界にすぎず。もとより二流界と雖もテツシン貴尊の生れたる二流界の下位に於ては、山川草木のそなはりあれど是等の地に住居なし居る人類は、唯その形に囚はれず生活なし居るにすぎず。すべて動物の居住にまかせ、彼等に居をあたへ居るに他ならざるなり。ここに生活なし居る人類は住居に対して、何等の障碍あらざるが故なり。又必要もあらざるによりて別段意にも止めずして、安らかに生存なし居るにすぎず。ありてもよく、なくとも何等の妨げとはならざる故なり。斯く語るとも世人には到底理解すること難からん。又是等に関してくはしく語る要もあらざるなり。故に省略す。もしくは此事のみ聞き度ばミキョウに問ふべし。
 二流界の上位に至っては山川草木のそなはりあらずと聞かば世人には如何に感ずるや。実に無味乾燥の国土にして何等楽きとは感ぜざるべし。世人は山河の風景建築の美観等を楽むが故に迷ひは多し。山河草木のあらずと聞かされなば、砂漠の如き茫漠たるものを感じて美と云ふものの観念なければ、何によって楽みを得るやと思ふならん。世人の快楽は肉眼肉耳より心を娯ませんとの考へなるが故、真実の快楽を味ふことを得ざるなり。世人は旅行して珍らしき風景を見る時、かかる美はしき処に永住したしと考へしこともあらん。されどその土地に住居なし居る人は日々その風景に飽きて、他に旅行するにてはあらざるか。是等は同じものを長く見聞なし居らば倦怠を感ずるによって、他に又新らしきところを求むる故なり。日々見聞して飽くことを知らざるあらざれば永住することは難からん。二流界は是なり。

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