未知日記霊話集千七百九十四回  帰途案内記 NO211 二流界の事柄を語るに対して斯くも横道に入りたる話をなせしは何故かと云ふに、この三密一体の理論を知らざれば霊と云ふ本体をきはむること難からん。霊を究めざれば霊の世界を語るとも認識することを得ざるは当然なるによって、先づ是等の事柄を語りて後に霊界の有様を語らんと思ふなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
セイキョウ貴尊 講述
                     


 世人の修養修行の様を見るに心のみ忙しく働かせ居りて、肉体と魂をつなぐ事をせず、ために肉体と魂が分離されて融和の度を欠くによって、天爵の影うすくして品位は高くせられざるなり。先にも語りし如く魂と肉体とを一体化せしむる方法は、心に依らざればなし難し。心のはたらきせまき人を小胆なる人と云ふにてはあらざるか。是等は肉体に心を奪はれ居るによって、魂は潜在し心のみ太り行きて果は肉体に迄影響して、俗に云ふ神経衰弱と云ふ病気を併発するに至るのみならず、遂にはその心乱れて狂人と変ずる憂を引き起すことも多し。この事柄をよくよくきはめて魂より心、心より肉体と接続する方法を怠らず研究なし居らば、それにて修養はつまれ行くなり。この理を悟り得たらば自問自答の大切なることは察するにあまりあらん。自問とは心と魂をつなぐ方法なれば肉体より心、心より魂となる。然して自答とは魂より心、心より肉体へと変ずるが故に、常にこの法を行ひおらば身心魂、魂心身の融和結合は完全に行はるるによって、全き結果は得らるると知らば可ならん。
 二流界の事柄を語るに対して斯くも横道に入りたる話をなせしは何故かと云ふに、この三密一体の理論を知らざれば霊と云ふ本体をきはむること難からん。霊を究めざれば霊の世界を語るとも認識することを得ざるは当然なるによって、先づ是等の事柄を語りて後に霊界の有様を語らんと思ふなり。されば霊とは何か。前巻より此書迄霊に対して種々様々語り来りたれど、世人には未だ霊に対しての姿を認識なし居らざる点少なからずあることを我等はよく知る。故に重ねて斯ることを語り居ると承知せよ。

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