未知日記霊話集千七百九十三回  帰途案内記 NO210 修養修行を重ねて自然にそなはる人格は、即ち智慧の肥料に費して魂を育て行くによって、天爵はつまれ行くなり。故に是は永久失はるるものにあらず。人爵は謂はば附け焼刃なるが故に、失はるること多し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
セイキョウ貴尊 講述
                     


 かく語り来る時世人は思ふならん。天爵得られずば人爵これに伴はずと。もとより天爵ありて人爵是に従ひ来るは一応尤の如く感ぜらるれど、人爵は或程度智慧と物質との関係より来ること多し。人爵のうちにも自然人爵と苦心人爵との二種あり。自然人爵とは其人に具はれるものにして所謂天爵の影とも云ふべきものにして、苦心人爵とは身心の労苦より得たるものなり。故に苦心人爵は智慧のはたらきが正しきと正しからざるとの二方面より、受くることも稀にはあるなり。或人の言葉に「善行をなさんとしての悪行は罪とはならず。されど悪行をたくらみて善行を行ふは是罪なり」と云ひしを聞きたり。尤もなる言葉なり。私利私欲の為に善行を行ふ人は多し。是罪悪なり。昔の道話に親に孝養を尽し寒中に筍をほる子の孝行が、後に至って結果は不孝となりしに引きかへ、親に対して不孝にして常に親を粗末になし居たるものが、最後に至って孝行となりたりと云ふ語り伝へもあるなり。善をなして悪を求め、悪をなして善にかへる。是反対の話なれど結果に於ての相違はへだたり多からん。修養修行を重ねて自然にそなはる人格は、即ち智慧の肥料に費して魂を育て行くによって、天爵はつまれ行くなり。故に是は永久失はるるものにあらず。人爵は謂はば附け焼刃なるが故に、失はるること多し。誰かの語るところを聞けば人の品位を計らんとならば、男女のたはむれを見よと語りしを聞く。面白き話ならずや。是等の事柄より考ふる時、人爵ははげ易きことの理は頷かるるならん。所謂汝等が語る猫をかぶる人爵は、一時の事にして永久にあらず。自然にそなはる天爵にあらざれば正しきとは云ひ難し。徳をつむと云ふは魂の力を増大せしむるにあらざれば得難し。人に施しをなして其人より尊まるるは是人爵にして 天爵にあらず。人に施しをすることは正しけれど其施しの方法の相違によって或は天爵となり、或は人爵となるなり。即ち哀なる人を見て同情の思ひより施しをなす。是等は正しけれど中途の施しにすぎず。是を人爵の施しと云ふなり。甚だしきは己が為に人に施しをなす人多し。是は利己の施しにして表面の施しなれば人徳の力はうすし。されど是等とて不正にあらず。

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