未知日記霊話集千六百八十三回  帰途案内記 NO103 神と云ふものの存在することを認識して、その神は遠からず又近からずとの念を強うし、我は如何にかして神の前に至らんとの思ひを強くし居らば、其にて目標定まりたるなり。斯くして己が意を強くし、眼に見えねど耳に聞えねど神はあるなりとの心を離さず、方向は何処如何なる所など考ふるの要なし。唯神はおはすとの思ひを貯へ居らば、其にて方向は定まりたるなり。 セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 103
セイキョウ貴尊 講述

                    
 汝等は目標を定めて然して後にあらざれば、その処に行かんとはなさざるが故に迷ふなり。されば神と云ふものの存在することを認識して、その神は遠からず又近からずとの念を強うし、我は如何にかして神の前に至らんとの思ひを強くし居らば、其にて目標定まりたるなり。斯くして己が意を強くし、眼に見えねど耳に聞えねど神はあるなりとの心を離さず、方向は何処如何なる所など考ふるの要なし。唯神はおはすとの思ひを貯へ居らば、其にて方向は定まりたるなり。その理は空は大自然なるが故に、何処如何なる処にもはたらきは絶ゆることなし。はたらきの絶えざる処は、終始の区はあらざるが故に、目標を定るの必要はあらざるなり。かくも微妙なる力を有する空の世界こそ、汝を導く順路なりと知らば可ならん。修養修行して此説を理解する迄に、到らしめよとすすむるものなり。今我等が語り居るこの言葉を実に尤もなりと悟る人は少なし。されど此説をさとる力迄養成せずば、到底天界は望まれ難からん。
 先にも語り居る如く汝等の魂を霊にまかせよと説きしは是なり。汝の霊は神を知る。魂を霊にまかせて、霊より神の力を魂に知らしむれば、魂は決して誤ちたる行為をなすものにあらず。汝等は霊にすべてをまかせざるが故に不善の行為をなすなり。悪き行為をなす時は霊より遠ざかり居ると心得て、早く眼ざめて霊にまかすべし。
 汝等の宗教には一日一善と云ふことを教へ居れり。是を我等に云はしむれば一日一悪の所迄、至らしめよと勧むるなり。然してその一悪を犯さざるやう修養して、一日全善の位置に迄至らしむれば、其にて霊と魂は一体化せられたるなり。ここに至って始めてさとりを得らるるなり。一度さとれば善悪の区はあらざるなり。善悪の区を考へ居る間は未ださとりは得られざるなり。一度さとれば善悪など考ふるの必要もなし。仏教にては是を菩薩の境涯とか成仏の姿なりとか称へ居るなり。斯くなりて初めて真の神を知るに至る。真の神を知り得たらば、其にて完全に転界はなしたるなり。

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