未知日記霊話集千六百七十五回  帰途案内記 NO94 我等もその失敗の度を幾回か重ねて今に到りたり。依って後輩の世人に対して聊かにても其苦みを少なくせしめんとはかりて、導きをなし居るなれば疑はず、我等の説を聞きて是に従ひ来らば、迷はず転界することは容易なり。されば先達の我等にまなこをむけて傍見することなく従ひ来るべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 94
セイキョウ貴尊 講述

                    
 例へば一つのことを発見して是を完成せしむる迄には、幾回かの失敗を重ねて後にあらざれば成功し難かるべし。されど一度成功したる人の教へを受けて、其に依って事をなさば苦まずして忽ち成功す。これ自然なり。先に苦みし人はその自然の理を明らかに認識なし居らざるが故に、重ね重ねの失敗を繰り返へしたるにて、その失敗こそは自然に順応せざりし為なることを、後に至りて悟りたる迄にて是を以て自然を克服したりとか、征服したりとか云ふが如きは愚も亦甚だし。己の智慧の到らざりしを知らずして、自然を征服したりなど称ふる如きは、智者の口にすべき言葉にあらず。転界論に於ても亦同様の関係あるなり。
 我、斯くもくだくだしき論旨を進めしも他ならず。世人は自然に生れ自然に死しなば、其にて自然を歩みたりと曲解なす人多きを知るによって、斯くはくどく説明を与へ居るなり。自然は範囲せまきものならば斯る論旨を進むる必要はあらざるなり。所謂人間の一生に対して考へを廻らす時、人道を全く完全に歩みて軈て望みの場所に転界することを得る迄には、幾度かの失敗は免れがれざるなり。
 所謂一つのことを発見せんが為に幾回かの失敗を重ぬるに等し。この幾回かの失敗を重ねずば目的の地点には到達なし難からん。故に自力にてはその失敗の程度は数多し。されど先輩者の教へに従ひて歩みを進めなば、その失敗は少なくして容易に目的を達することを得るは道理なるべし。我等もその失敗の度を幾回か重ねて今に到りたり。依って後輩の世人に対して聊かにても其苦みを少なくせしめんとはかりて、導きをなし居るなれば疑はず、我等の説を聞きて是に従ひ来らば、迷はず転界することは容易なり。道には彼是障碍ありて稍もすれば横道にふみ迷ふ怖れあり。されば先達の我等にまなこをむけて傍見することなく従ひ来るべし。眼を外さば横道に迷ひて苦まん。夢々我等を見失ふことなきやぅ用心して従ひ来るべし。

×

非ログインユーザーとして返信する