未知日記霊話集千六百七十四回  帰途案内記 NO94 自然を曲解して道を歩むが故に、自由は束縛されて到るべき所に達することを得ず。空しく歩みを進め居る結果となるなり。上らんとせば上るべき順路を歩み、下らんとせば下るべき順路を歩まば、苦まずとも自然は得られてたやすく望を達することを得せしむるは、是即ち自然の法則なるが故なり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 94
セイキョウ貴尊 講述

                    1
 徒らに一生を無意義に過しなば、結果は無意義に終る。されば自然は余りに範囲広くして、我に望なくんば行くがまま際限無くさまよふ他なし。転界せんとなすとも転界するを好まずと雖も、自然は唯自然に順じてその居を得せしむ。故に目的を定めてその定めたる目的に順じて方向を定むれば、その赴く処に到らしむるはこれ又自然の法則なるによってなり。
 好むと好まざるとに不拘、自然は自然なり。是を曲げんとなすとも自然は曲げらるるものにあらず。されど己に一つの方向を定めてその方向に到らんとならば、その行くべき経路の順序の理を明らかにして其によって道を択ばば、自然はこれに従ひてその居に到らしむ。是又自然の法則なるによってなり。世人は成らじと思ふことを為し遂げたる時、自然を征服したりと称し居れど、其は自然を征服したるにあらずして、目的を達成せんが為に、自然の力を得てはじめて望を達することを得たるなれば、即ち自然を征服したるにあらずして、自然に順応したる結果の現はれなりと知らば可ならん。
 所謂鳥は先か、卵が先かの譬喩の如く現今の学理より推測するならば、卵が先にして鳥は後なりと云ふ学説は成功するならん。是を宗教者に言はしむれば鳥は先にして、卵は後なりと云ふこの説も又成立するならん。然りとせば学説が自然に合ふか、宗教論が自然に合ふの二方面に分離せらるるにてはあらざるか。自然は一つにして二あるにあらずと云へる理論は、この場合成立せざるべし。されど今一層深く是を根底に返しへて追及すればこの両者は往と復との関係にて、即ち原理は一に帰す。然るを世人は往と復の関係を一体化せしめて研究なさざるが故に、自然を曲解して稍もすれば大なる誤謬を生じて、或は右し、或は左して迷ひを深くなし居ることは、是等の例に徴しても明らかに悟ることを得る筈なり。故に自然を曲解して道を歩むが故に、自由は束縛されて到るべき所に達することを得ず。空しく歩みを進め居る結果となるなり。上らんとせば上るべき順路を歩み、下らんとせば下るべき順路を歩まば、苦まずとも自然は得られてたやすく望を達することを得せしむるは、是即ち自然の法則なるが故なり。

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