未知日記霊話集千六百六十七回  帰途案内記 NO87 魂魄この土をはなれず、右往左往迷ひ居る魂は多し。故に世人と雖も修養修行の力勝りて、心のまなこ開らかるるならば、地上をうろつきまわる魂のあることを見ることを得るなり。是等は幽霊にあらず。即ち幽魂に属すと知らば可ならん。汝等幽魂となるなる勿れ セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 87
セイキョウ貴尊 講述

                    
 よく世人も云ふ如く魂魄この土に止まりてと云ふ言葉の如く、世人は死して他界せんとは思はず、この土に止まらんことを願ふによって、魂魄この土をはなれず、右往左往迷ひ居る魂は多し。故に世人と雖も修養修行の力勝りて、心のまなこ開らかるるならば、地上をうろつきまわる魂のあることを見ることを得るなり。是等は幽霊にあらず。即ち幽魂に属すと知らば可ならん。汝等幽魂となるなる勿れ。かかるものにならば永久の苦はまぬがれざるべし。是等の種類は転界にあらず。所謂肉体の脱穀になりたるに他ならずと知るべし。我かかることを語るとも世人は信ずること難からん。慈音は我に質問をなしたるが故に答へを与へたるにすぎず。信不信は世人の意志に任すの他なからん。
 さりながら斯る事もあることを古来より各宗教者が、勤行によって知り得たる為、多くの人を迷はせざるやぅ加持祈祷とか、或は種々様々の法力によって、是等を済度せんとはかり居るなり。我等は宗教者の分野を犯す者にあらず。されば多くを語るの要なけれど、仏教者の云ふ死後の回向とか云ふも皆是等の魂を救はんが為の方便なるべし。是等の魂が時には入魂とか或は重魂とかなりて、再び娑婆に現はるる等の論説は、既に前巻に掲げたれば世人も承知なし居るならん。よって此説は是にて止むる事として本論にかへるべし。
 慈音、我に問ふて曰く「肉体亡びても尚死を知らざるもの多からん。然りとせば是等のものは如何にして如意界等に移さるるや」との質問なり。尤もなる質問なれば是に答ふべし。元来天の使命に基きて地球上に生存なしたるもの、人道全きと全からざるとを問はず稔たるものならば、肉体滅後直ちに浮住界より如意界へと順を重ねて引き上げらるるものにて、稔らざる魂の肉体を捨つるは凡て自殺に属す。故に彼等は死して死したるを知らず、宙に迷ふなり。是は天より引き上げられざるが故なり。心霊雑話を参照して推理せば明らかに知ることを得ん。所謂死したるにあらずして遊魂なし居るにすぎざる故なり。
 我先に語りし九流界とか八流界とか云へることに対して、世人は範囲をせまく考へて、九流界もハ流界もみな一個の如く考へ居らば大なる誤まりなり。二流界以下の界は数多ありて唯一つのものにあらず。唯一流界のみは一つなれど、この界は無限大にして、境界の区を定むることを得ざる大なる所なり。されど世人に一流界のことを語るは、教主の許し給はざるところなれば、是を語ることを得ず。

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