未知日記霊話集千六百六十六回  帰途案内記 NO86 前巻心霊雑話等に於て語りし如く自己死して死したることを知らず、迷ひ居る魂の多きことを世人は記憶し居るならん。この話は其と相似たるものにて、彼の船の多くの死体は昼夜間断なく争闘を続け居るなり。されど日中は彼の二人の者の脳裡に映らず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 86
セイキョウ貴尊 講述

                    
 もとよりこの話は作り話にて小児だましの話にすぎざれど霊界の方面より説明することは至難にはあらざるなり。作者の意図は那辺にあるかは知る由もなけれど、心理学又は生理学より是を分析して語ることは、現今の学理にては到底及びもつかざるならん。されど我等に云はしむれば斯ることは訳もなき事なり。さりながら是を汝等に語るとも信ずることは難からんとは思へど、序でなれば教へをくべし。前巻心霊雑話等に於て語りし如く自己死して死したることを知らず、迷ひ居る魂の多きことを世人は記憶し居るならん。この話は其と相似たるものにて、彼の船の多くの死体は昼夜間断なく争闘を続け居るなり。されど日中は彼の二人の者の脳裡に映らず。夜にのみ見ゆる現象は世人もほぼ察せられるならん。日中は彼等二人は太陽の光線と周囲の関係などありて、心のはたらきが八方に展がり雑念に囚はれあるが故に、彼等の争闘を見ること得ざれど、夜になりて心しづまり従って睡気を催すに至らば、その時自然に淋しみを感じて、心もその方面に囚はるるが故錯覚作用によって、彼等の争闘は眼にも耳にも感じ来るなり。されど彼等の争闘は昼夜の区別なく行はれありと知るべし。彼等の魂の一部が念となりて残り居る為、霊の力は是に加はりて、船は思ふ方向にむけられて進みつつあるなり。もとより帆に含む風の力を、霊は応用なしつつあるなり。然して彼等の念ははたらきて是を左右す。死したる彼等は死したることを知らず、争ひを続け居りし其争ひに対しての苦みを味はひつつ早くこの苦みを度脱せんとのみの考へにて、上界に上るとか極楽に行くとか云ふが如き観念は毫もあらざるなり。故に聖者より聞かされて清浄の土を以て彼等の死体をきよむれば、この争闘悩みを度脱することを得ると教へられて実行したるにすぎず。彼等の死体は土によって争闘の苦をまぬがれて、その悉くが海中に逃げ去りたれど、未だ彼等は死して天界に到ると云ふことを考へず、死すれば斯くなるなりとのみ考へて、他界へ移らんとはなさざるなり。故に是等の魂は宙に迷ふ他なきなり。死すれば上界、或は他界に移ると云ふ宗教の教へを知らざる故なり。唯一時の苦みを救はれんが為に、二人の生きたる人をたのみたるにすぎざるなり。

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