未知日記霊話集千六百六十四回  帰途案内記 NO84 宗教者の如く地獄極楽の説を伝ふるが故に、世人は恐怖心を起して地上に長く生存せんことをはかり、為に生の苦みを招き居るなり。恐怖心は即ち一寸先を暗と考ふるところより生ず。前途に光明ありと知るならば地上に長く生存することを好まざるべし セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 84
セイキョウ貴尊 講述

                    
 一階上らば一階の定めあり。階を重ねる毎に移り変りの姿あるなり。その姿に応じて動ぜざるにあらざれば、転界なすとも迷ふは必然ならん。是を導く我等の使命は、この事柄を心に深く貯へて歩行を進むるにあらざれば、転落の憂目を見るが故に、いささか不動心の事を示めしをきたり。何処如何なる場所に置るるとも、その居に処してあやまたざる行いをなすにあらざれば迷ふは当然なり。迷ふものは居を変われば心乱れて何事をもなすあたはず。故に定まる処を知らずして、或は右回し或は左回し、己の位置を知らずして永久転々として迷ひを続くる結果とならば、何日かは安住の地に住することを得んや。この心を心として修養を深くせざれば転界するとも目的の地点を定むる事は至難なり。宇宙は余りに広大無辺なるが故にさまよひわたれば、はてしなくして何日かは安住する処を求むる事の難きを、先づ認識なしをくの要あるなり。
 上階には光明赫々たる処あり。又暗黒深くして明らかならざる所も多し。故に転界なして一歩あやまたば暗黒に転落す。上階の事を詳しく語るに先だち、先づ世人に注意することあり。其は外ならず。宗教者の如く地獄極楽の説を伝ふるが故に、世人は恐怖心を起して地上に長く生存せんことをはかり、為に生の苦みを招き居るなり。恐怖心は即ち一寸先を暗と考ふるところより生ず。前途に光明ありと知るならば地上に長く生存することを好まざるべし。地上に長く生存することを好まずば、生は却て安らかとならん。されど是にも亦過失を生ぜしむる憂ひあるなり。前途に光明ありと信じて地上の生を厭ふ結果、自殺などの誤ちを犯すもの多くなりては世は保たるるものにあらず。ここに至って宗教者はハタと当惑なし居るなり。人の本心は安楽より安楽を求むる性質を有するが故なり。いささかにても苦あれば、その苦を払いて安からん事を望む結果、却て長き苦みを求むるも皆安楽より安楽へと望む故なり。苦みありてこそ楽しみは得らるれど、楽しみばかりの連続にては、真実の楽しみを味はふこと難からん。富貴の家に生れて、何不自由なく生活し美味美食を日々味ひ居らば、却て美味ならざるものを求むる如きことをなし居るにても知らるる如く、貧者は富者を羨み、一旦富者とならば、又も昔の貧者を焦がるるに至る。是を転界と云ふにあらず。是は輪縁を廻転なすと同様にて転界したるににはあらざるなり。所謂さまよひの連続なりと知らば可ならん。転界と廻転とは相似て等しからず。同じ場所を幾回となく廻り居るは是動揺しつつ迷ひわたり居るにて、転界とはその所を離れて、他の処に移るにあらざれば転界とは云ひがたし。

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