未知日記霊話集千六百六十三回  帰途案内記 NO83 ミキョウは慈音の友江橋に対して盤石不動心と云ふ題目を与へて、その極意を伝へんとして筆をとらしめ居るに不拘、彼は自我心をはたらかせ為に今尚さとることを得ずして迷ひ居るなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 83
セイキョウ貴尊 講述

                    
 ミキョウは慈音の友江橋に対して盤石不動心と云ふ題目を与へて、その極意を伝へんとして筆をとらしめ居るに不拘、彼は自我心をはたらかせ為に今尚さとることを得ずして迷ひ居るなり。修養修行とは即ち転界の法則をさとるにあらざれば、極意をきはむる事難し。ここにこそ転界の道は明らかに開かれ居るなり。盤石不動心とはそも何ぞや。我等に云はしむれば此文字こそ、不去不來の境涯をさとらしむる有難き言葉なりと思ふが故に、彼にその題目を与へて大徳を得せしめんとなしたるなり。盤石不動心ならでは絶対界の姿は認識することあたはざるべし。彼は文字の意味に囚はれて迷ひ居るなり。さればこそ慈音は彼に対して盤石の石の字を若に変へては如何とすすめたれど、彼は未だ是をさとる事を得ず。所謂自我心のさまたげあるが故に、斯くは迷ひて筆を捨てんとなし居るなり。彼の自我心は如何に強くとも、如何に堅固なりとも、其は不動心にはあらざるなり。自我心強くして、不動心ならざるが故に、転界することは得られざるなり。意志は強固にする事を不動心と考ふれば大なる誤りなり。其は恰も一個の大石が水面に置かれあると同様にて、軈ては柔らかき水の為にけづられて、果は影を失ふに至らん。又氷山の如く熱を加ふれば解流するの外なし。是不動心にはあらざる故なり。文字に囚はれて却て正しきさとりを得ることをせず、徒らに光陰を費し居らば、大なる石も一個の小石と化する外なかるべし。是を文字より推測し見よ。盤石不動心にあらずして、軟弱動心となるにてはあらざるか。さればこそ慈音は盤若不動心と変へては如何と注意なしたるなり。頑固一徹の心を不動心と誤解するは多し。是等は恰も地上に転がる石の如く不動心にはあらざるなり。融通の利かざる心は凝り固りたるにて通ずることなからん。虚にも通じ、実にも通ずる底の心ならでは、不動心とは云ひ難し。即ち自由自在転変不可思議の心ならざるべからず。今日には今日あり。明日には明日の姿に従ひて、動ぜざる修行こそ肝要ならん。盤石不動心に就いては、ミキョウと江橋の間に約せられたるが故に、我その分野に立ち入る事はなさざるべし。よって是は省略す。

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