未知日記霊話集千四百四十五回 大霊界 無言詞の働きは空に属するか その2 何事に限らず「一寸待て」と云ふ言葉を忘るる勿れ。例へば思ひあまりて自殺せんなど考へたる時、一寸待てと云ふ言葉を心に与へなば、死せずとも何か明案は浮かびて死を止むるに至らん。是が次第に熟達して魂と心が一つになりたる時は、即答するとも誤たざる底に化せしめらるるに至る  教主寛大講義


未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                         NO128  無言詞のはたらきは空に属するか、 虚に属するか      その4                                                    教主寛大 講述



 汝等修養の力を養ふには「一寸待て」と云ふ言葉を、常に繰り返して物事を考よ。されば過失は少なかるべし。何事に限らず「一寸待て」と云ふ言葉を忘るる勿れ。例へば思ひあまりて自殺せんなど考へたる時、一寸待てと云ふ言葉を心に与へなば、死せずとも何か明案は浮かびて死を止むるに至らん。是が次第に熟達して魂と心が一つになりたる時は、即答するとも誤たざる底に化せしめらるるに至る。魂心一体化することによって念の力が加はる。熟達すると云ふは念の力が強くなり行くによって、物事に対して即答を与ふるとも過失は少なし。思慮深き人と執着強き人との区別を知らざるが故に、この両者を混同して誤認すること多し。注意せざるべからず。
 例へば人にものをたづねて、其人が直ちに答へを与へ呉なば、諸子は直ちにその言葉を信ずるならん。されど答へが手間取ならば何かそこに企みがありはせぬかと云ふ不安の、心に感じられて信ずること能はざるべし。禅門の僧が問答して答へ手間取れば忽ち痛棒を与ふ。是は禅門の僧は心魂一体の修業をなし居るによって、執着を払はんがための方法にして、思慮の深き浅きを意味するにあらず。心魂一体となすべき方法は、執着と云ふ隔たりを払ふにあらざれば、なし難きを知るによってその執着を払はんがための方法として、即答を促し居るなり。
 例へば旅する人に道の遠近を聞かれて其を正直に教ゆる人と、又その人の足許を見て適宜の里程を教ゆる人とありとして、何れが是なるかを考へみよ。思慮ふかき人は旅する人の足許を見て、是を加減して教ゆる言葉は、偽はりに似て偽はりにあらず。正直に教ゆる人は偽はりならねど、旅人の歩を弱くせしめて却って疲労を増さしむる結果となることあらば、汝等諸子は何れをよしとするや。ここに思ひやりと云ふ心を以て導くにあらざれば、情とはならざるべし。思慮を深くすると云ふ言葉と、執着との相違は相似て等しからざる点少なからずあるなり。心を魂にうつして同化なし居らば、魂のはたらきが勝れたる力を有するよって、忽ち心に通じて答へも速やかとなる。是は早合点にあらず。早合点より出づる言葉は危ふし。心の作用のみ強き人は早合点多くして問に対して直ちに答ふ。故に他より見る時は賢き人の如く見ゆれど、その答へが誤つこと多きが故に、人を迷はすことも多し。注意せざるべからず。魂の答へとなさば早合点にはあらざるが故に、正しきことの多きは当然なり。故に人を惑はすことも少なし。思慮深きと執着とを混同して考ふること勿れ。思慮深くせんがために訳もなきことに囚はれて、空しき空想に走るは心の迷ひなり。心の迷ひを執着と云ふ。されど思慮深きは魂の考へを深くせよと云ふ意味なれば、心と魂の区別は明らかにして空しき考へをなすこと勿れ。

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