未知日記霊話集千四百三十六回 大霊界 空の研究と実の研究 その9 当事者は唯心魂を打ち込みて研究なし居る間こそ、真の幸福を味ひつつあるなり。それが完成したる時、唯刹那の喜びあるにすぎず。ここに空と虚の一大事はあるなり。諸子はよくよくこの空虚論に対して、深く追究して考察工夫せんことを 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                         NO121      空の研究と実の研究      その9
教主寛大 講述


 余事兎に角汝等衆人の中には人魂と称する怪火を見たるものあらん。この怪火が空に属するか、虚に属するかを考へ見よ。是を学理的に説明するならば、空より実に化せしめて研究するにあらざれば、その真を知らしむること難からん。されど諸子の中には目撃して実なりと思ふ人もあらん。又是等はなにか他に理由ありて生じたる現象ならんと思ひて、其にて深く追究するものは少なし。人魂(ひとだま)とは人間魂なりと思はば是又迷ひなり。されば人魂は空に属するか、虚に属するかの二種に区分して考ふる時、空にもあらず虚にもあらず、即ち空虚一体の関係より現はれたる現象なりとして、学理をはなれて研究することも至難にはあらざるなり。この怪火の現象は現今の科学にては未だ解決はなし居らざるなり。されど我等はこの理をよく知る。知りたくば円海に問ふべし。円海は易学の大家なれば斯ることは即座に教ゆるならん。我は斯る事に関して余りに彼是論ずるの要なし。故に省略す。是等に関しては未知日記前巻にも記しあれば参考として読まば可ならん。
 兎に角益なき学問は虚にして有益の学問は空なり。汝等諸子は無益の学問余りに多くなし居る故に、却って有益の学問の妨げとなること多し。虚学を捨て空学を研究するにあらざれば、有益のさとりは得難きことは云はずもがな諸子にも理解し居るならん。さとりて見れば訳もなき事にて、斯る簡単なる事を何故知らざりしかと、己の愚を己自ら嘲笑する底に化せらるるならん。さとりを得んがために苦めど、さとりて見れば訳もなきことなり。すべて物事は努力なし居る間は楽し。事、成就せば希望は失せて疲労を感ずるならん。努力なす間こそ実は楽しきなり。悟らんとする努力は楽しみにして、覚り終らば訳もなかりし事に気附きて却って疲労を覚ゆ。ここに何か空虚の真理は潜在なし居らざるかを考へ見よ。学者は一つの事を発見して其を完成するには非常なる努力を要す。その努力こそ楽しみにして、他より見れば苦しからんと思はれ、又或者よりは狂人扱ひをすらなすものもあらん。当事者は唯心魂を打ち込みて研究なし居る間こそ、真の幸福を味ひつつあるなり。それが完成したる時、唯刹那の喜びあるにすぎず。ここに空と虚の一大事はあるなり。諸子はよくよくこの空虚論に対して、深く追究して考察工夫せんことを。


      空の力と虚の力の相違

 今迄述べ来りたるところより更に空と虚の理論を延長して考察せば、空の力には限度なく、虚の力は程度を有すと云ふ考へも生じ来るならん。空の力は一切悉くを余すところなく通じ居るによって、遠近を問はず平等に力を与ふるならん。されど虚の力は影なるによって、或は通じ或ははなるる関係あるによって、すべてに力を与ふることを得ず、ここに空と虚の相違を発見するならん。是を人間にとりて考へ見よ。汝等衆人は親戚知己と他人とに対して、情の心には区別すること多けれど、是を仮に人間をはなれて人間以上の仏菩薩とか、或は神とか称する程度迄進みたる智識の具備を有するに至らば、親戚知己他人等の区別なく、禽獣虫魚に至る迄の情(なさけ)の心を起して、あますところなく情をおくるならん。是等は空と虚の力の相違なり。恰も人間の作りたる光明と、自然の光明との相違によると知らば明らかならん。人工の光明は近きものを照らせど遠くなり行くに従ってその力は鈍し。されど自然の光明は遠近を問はず、一切平等に照らすことを得るならん。汝等諸子は親戚知己に対しては、積極的に接近すれど、他人に対しては消極的の取り扱ひをなし居るならん。是等は虚の力にして、空の力にあらず。その親戚知己他人等に対する厚意も、諸子の心が動物性をはなれて人間性に移さるるならば、他人に対しても偏頗の処置なく平等の取り扱ひをなすに至るなり。是を愛の区別と云ふ。同じ愛と云ふ言葉に於ても二種の区別あるなり。現今日本の隣国支那朝鮮の人達が干戈を交へて多くの死傷者を出し居るに不拘、日本人はこの戦いを応用してその虚に乗じて、一儲けせんなど考へ居る不逞の徒輩すらあるを見ば、平和とか親睦とか人間愛とか称し居る言葉は皆虚偽なるべし。偽善の言葉なるべし。心にもなきことを表面のみ飾りて、裏面に怪しき思ひを貯へ居る如きは虚偽の心ならずや。是に類することの数々は枚挙に暇なかるべし。然して彼等は人間性は何とか、動物性は何とか云ふ如き理論を口にすとも、斯る虚偽の言葉は通ずるものにあらず。諸子の世界に偽善者の多きは実に悲しむべきことならずや。まして近代の如く宗教者の偽善者は殆どと云ふとも過言にあらざる程多し。右手に哀なるものを抱き上げ、左手に鞭を以て打つ如き行為は正しき導きと思や。

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