未知日記霊話集千四百三十五回 大霊界 空の研究と実の研究 その8 人として人を知らず。動物性にて過し居らば、クゥワオの如く智慧才能すぐれたりとて何等の価値もなし。泰岳の如く愚者と称せられて疎んぜらるるとも、動物性を離れて人間性にてすごし居らば、天界に引き上げられ、又一婦人のきく女が卑賤の身に不拘、人間性をはたらかせて生涯を幸福なりとして終りしのちに於ても、天界に移されて今は安楽なり。然して彼女は今は真の幸福を得て安らかに任務に服し居れり。故に彼女は肉体を有する間より今に至る迄、幸福の一路を歩みたる真実の幸福者なりと見るも可ならん。是人間性なるが故なり  教主寛大講義


未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                         NO120      空の研究と実の研究        その8                                                    教主寛大 講述



 人として人を知らず。動物性にて過し居らば、クゥワオの如く智慧才能すぐれたりとて何等の価値もなし。泰岳の如く愚者と称せられて疎んぜらるるとも、動物性を離れて人間性にてすごし居らば、天界に引き上げられ、又一婦人のきく女が卑賤の身に不拘、人間性をはたらかせて生涯を幸福なりとして終りしのちに於ても、天界に移されて今は安楽なり。然して彼女は今は真の幸福を得て安らかに任務に服し居れり。故に彼女は肉体を有する間より今に至る迄、幸福の一路を歩みたる真実の幸福者なりと見るも可ならん。是人間性なるが故なり。
 実にのみ囚はれて空を知らざるが故に、心の置きかたを誤まてば動物性ともなり又、人間性ともなる関係上、空実の大事を早く悟らずば、実にもつかず、空にもつかず、迷ひより迷ひへ陥りて目標をあやまつ。実を離れて空となりたる後と雖も、ここに又空と虚との隔たりあることに、留意せざるべからず。是等の道理を認識せしめんがために、円海は五月(昭和二十六年)こだま会に於て尺度計の事柄を語り、又泰岳が神を拝する事について語り居りたるを我は聞きて喜びたり。空の中にも虚の中にもすべて四線の法則が定められあるが故に、易学は正し。易学は迷ひの学問にあらず。信ぜしむる学問なるによってなり。迷ひの学問は虚に属し、真の学問は空に属す。然しながら虚は空を飽和し、空も亦虚を飽和する関係上、虚にも空あり空にも虚ある関係となるによって、空虚の判別を理解するには苦心と努力を要す。
 例へばから箱の蓋を取れば中は空と虚を共にす。然して空気をぬき去りて真空となさば、虚に属するが如き関係もあるなり。又大空に蜃気楼を作るその蜃気楼は空と虚の結合なるが故に、虚とも見られ空とも見られ、又実とも見ることを得るなり。これが消滅して又虚となり又空となる。斯る比喩の如く空と虚の関係は、複雑微妙にして言葉にては理解することは容易の事にあらず。汝等衆人の中には熱烈なる信仰者が肉体滅後、空中楼閣を作りてその処に安住し居るも、空虚の一体化なしたる結果にして、真の空にあらず、又虚にもあらざるなり。故に危ふし。今我、語り居るこの言葉は是を言ひ現はすに俗語を以てせば、却って理解は容易ならんとは思へど汝等衆人は早合点すること多きが故に、わざと解し難き言葉をならべて理解せしむるが如き、又理解せしめざるが如き、何れにもつかぬ教へを語り居れど、汝等諸子はこの言葉の中に融け入りて考へ居らば、早合点より認識したることと、仔細に思ひ惑ひつつ研究したることの結果の相違は、最後に於て大なるへだたりを有するが故に、斯くも曖昧になる言葉もて諸子を導き居ることと承知せよ。然して彼是と思ひ惑ひて読み居らば、軈てはその真髄に触るることあらん。
(注意。今語りたるきく女の話は円海がこだま会に於て語りたる例話にして諸子には通ぜざるなり。彼女の話はこだま会以外の者には知らざるべし。聞き度ばこだま会の会員か或は円海に問ふべし) 
一言にして語らばきく女は心のをきかたを魂の方向にむけ居たるものにて、肉体を是に従はしめ居たるため、すべてを満足して不平の思ひを貯へ居らざりしため、一生を幸福なりとして終りたるにすぎず。即ち彼女は人間の有難味を知りて感謝の生涯を送りたる故なり。

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