未知日記霊話集千四百三十四回 大霊界 空の研究と実の研究 その7 九流界の人間は、クゥワオを奴隷の如く使用する程度迄、智識をそなへ居るが故なり。九流界の小児とクゥワオとは雲泥の差あるによってなり。クゥワオは汝等の世界に至らば神として仰がるるならん。九流界に於ては奴隷の如く取り扱はれ居るを知るならば、汝等諸子は九流界の小児を神以上の神として敬慕するならん。九流界の小児と雖も人間の向上したるものなれば、汝等諸子も軈てはこの居に達することを得るは、火を見るよりも明らかなる事実なるべし  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界        巻の三                         NO119       空の研究と実の研究    その7                                                    教主寛大 講述



 汝等諸子の世界の事柄すべては、九流界のクゥワオと云ふ動物に於てすら、是等の事柄を認識なし居りてあます処なし。クゥワオは四本の手を以て是を、八方十方にはたらかす事さへなし居る自由の力を有し、足に於ても亦然り。空かけり海原を渡り心のままになしてならざる事なき程度迄、智能のはたらきを有し居るに不拘、彼は動物なる事を知るによって早く、人間性に化せられんことを願ひ居るなり。汝等諸子は智識に於ても術に於ても伎倆に於ても、到底クゥワオの比にあらず。然るに諸子は人間ならずや。是等の事柄より考へ見よ。如何に人間の尊きかを知るならん。汝等諸子はクゥワオを羨むならん。又クゥワオの如くなりたしとさへ考ふるならん。何と云ふあさはかなる人間なるかに思ひを廻らさば、人間と動物の相違は自ずと理解することを得る筈なり。其にも不拘未だ人間として、人間の何なるかをさへ知らずして、唯空しき日をすぐし居りては、勿体なしとは思はざるや。
 未知日記に於てクゥワオの事を語りたるに不拘、今又ここに再記したるは何故かを諸子は知るや。クゥワオは教へられてすべてを知れど、教へられざる事は知る力なし。教へられざる事を知る力を有するは、人間なりとの考へを先づをこし見よ。クゥワオは人間にあらずと教へられたるが故に、人間たらんと願ふなり。其は九流界の人間は、クゥワオを奴隷の如く使用する程度迄、智識をそなへ居るが故なり。九流界の小児とクゥワオとは雲泥の差あるによってなり。クゥワオは汝等の世界に至らば神として仰がるるならん。九流界に於ては奴隷の如く取り扱はれ居るを知るならば、汝等諸子は九流界の小児を神以上の神として敬慕するならん。九流界の小児と雖も人間の向上したるものなれば、汝等諸子も軈てはこの居に達することを得るは、火を見るよりも明らかなる事実なるべし。
 第二段階に移されたる諸子は、クゥワオを参考資料として修養修行の道をはかるにあらざれば、目的は達し難し。故に再記して是によって指導を進めんと計りたるなり。もしクゥワオにして汝等諸子の世界に至るならば、すべてを知り尽くすによって斯くすれば斯くなると云ふ事柄より、すべてを処理する力を有すれど、九流界に於ては小児にも及ばざるが故に、何等の価値なく唯機械的に使役せられ居るにすぎず。汝等諸子も汝等の世界に於てのみ如何に世の中を支配する力ありとも、九流界に来りてはクゥワオにすら及ばざるなり。是等の相違は何によって生ずるかを深く考慮せんことを望む。もし汝等にして人間の人間たる道をふみ居るならば、人間としての如何なるかを覚ることを得る具備を有し居るに不拘、是を知らざるは人間としての道をふみ居らざるが故なり。クゥワオは肉体と心のはたらきは、人間の比にあらず。汝等諸子は魂の働きを知らずして、心にのみ任せ居るが故に、人間として人間を知らざるなり。第二段階に移されて魂の作用を完全ならしむれば、クゥワオの如きものは物の数にあらず。

×

非ログインユーザーとして返信する