未知日記霊話集千四百二十八回 大霊界 空の研究と実の研究 その1 我等はその空なる事の研究をなして、天界をきはめたるが故に是を知る。故に唯事実を事実として語るに、躊躇せざるなり。  汝等衆人信じて迷ふことなかれ。されど我等をはなれて他に道を択ばんとする者は、我等の言葉を信ぜずとも可なり。我等に来らんとするもののみ是を信じよ。我等は決して諸子をあやまたしむることはなさざるなりと誓ふ者なり。我等は諸子を愛す。されど諸子は我を愛せざるが故に、一体化することは得ざるのみ。されば我等諸子を愛する如く、諸子も我を愛せよ。然して一体化することによってすべては解決するならん  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の三                          NO113
空の研究と実の研究   その1
汝等、我をたづね来たらば、我は面会謝絶するものにあらず。必ず会ふべし

教主寛大 講述


 我等の指導(みちびき)は空に対しての教へにして、実に対しての教へにあらず。ここに汝等衆人の考へと我等の指導とには、相違の点尠からずあるなり。科学の力によって研究するならば、実の教へは容易に理解することを得れど、空を教ゆるは科学の力のみにては、如何に努力すとも及ばざること遠し。又是を認識把握せんと努力する、衆人の努力も容易のことにあらず。実なることを実として語るに於てすら、認識せしむることは困難なり。まして空なることを実として教ゆる我等の努力も亦、容易の事にて悟らしむる事の至難なるは当然なるべし。されど我等はその空なる事の研究をなして、天界をきはめたるが故に是を知る。故に唯事実を事実として語るに、躊躇せざるなり。
 汝等衆人信じて迷ふことなかれ。されど我等をはなれて他に道を択ばんとする者は、我等の言葉を信ぜずとも可なり。我等に来らんとするもののみ是を信じよ。我等は決して諸子をあやまたしむることはなさざるなりと誓ふ者なり。我等は諸子を愛す。されど諸子は我を愛せざるが故に、一体化することは得ざるのみ。されば我等諸子を愛する如く、諸子も我を愛せよ。然して一体化することによってすべては解決するならん。汝等、我をたづね来たらば、我は面会謝絶するものにあらず。必ず会ふべし。然することによって愛は成立するなり。恋も成立するなり。
 こだま会の会員は慈音を愛し、慈音はこだま会の会員を愛す。是即ち愛によって和合しつつあるにてはあらざるか。愛すると云ふことは合ふことなりと語りしも、敢てこじつけにてはあらざるべし。合ふとも一体化せずば、その愛は完全なる愛とはならざる理も亦、推して知らるるならん。この理より日本の一君万民の事を考へなば、日本古来の風習が如何に美はしかりしかを、知る事を得んと思ふが如何に。是は他国の人に語るとも、実在的よりの研究者に到底理解することは得難からん。
 空間の美と実間の美とにはかくも相違あるなり。我等は実間の美を喜ぶものにあらず。空間の美は美はし。何となれば実間の美には塵埃を伴ふ。されど空間の美には汚れは少なかるべし。この理を考へ見よ。美はしき花には種々様々の汚き埃が積り来れど、名香には何等のさわりはなかるべし。空と実とには美の点に於てすら斯くも相違あることに留意せば、空の力の如何に大切なるかは推して知らるるならん。故に我等は空を尊ぶ。又空をも愛するなり。
 実は空に従ひて廻る。恰も時計の針の如し。空の力は限度なきが故に際限なし。限度ある実の力はやがて衰へん。尊きものは空ならずや。空より生まれたる実なれば、空は実を知る。されど実は、空を知らざるべし。故に迷ふなり。今や汝等の世界は実より、空を追ひつつ日々をすごし居るならずや。もし実にして空を知るならば、前途は明らかにして暗からず。されど空を知らざるが故に、迷ひつつ暗より暗へと運ばれつつ、所謂俗言に云ふお先真暗にて危き前途を、杖なき盲者の如くその日その日を渡り居る、汝等衆人を見るにつけ、我等は憐憫の情禁ずるあたはず。ここに於て汝等衆人に光明を与へんとして、いささか努力なし居るなり。
 今や汝等の世界の如く不安の状態を見るにつけ、汝等衆人如何に考へ居るや。もし戦争が実現化するならば我等は如何になり行くかとその不安は、益々加はるのみにて何等なすべき術を知らず。ここに於て自暴自棄となり我儘気儘の行動を敢てするによって、益々世は混乱より混乱へとはてしなく持続して、殺伐の機運益々濃厚となりやがては事実に於て干戈(かんか)を交ゆる結果ともならば、その時、周章狼狽すとも何等の明案は出でざるべし。もし汝等諸子にして空の力を得て、光明の輝きを有するならば、たとえ干戈を交ゆる至るとも決して迷ひは起らずして、泰然自若適所適宜の明案は現出して、その危難より脱することを得るは、是即ち空の光明を得るにあらざればなし難し。

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