未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百七十三回 絶対界 第九章 諸子の自問は調合の不完全なるが故に、自答も不完全となるなり。 心と心を正しく調合して与ふれば、ききめは顕著なるが故に、答への結果も極めて顕著となることは是又理なるべし テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 
第九章
           テツシン貴尊講義


 此心と此心と化合せしめて、その望みに役立しめんとの考へにて拝みするならば、其は調合したる薬を服用したると同様の結果となる故に、病苦は治癒する如く望みを成就するなり。 一心と云ふは即ち薬剤と薬剤と化合する如く、一服に調合して用ゆるに等し。故に一心となりて拝みせよと教へ居るならん。 念ずると云ふも即ち化合を云ふなり。 心と心の化合是即ち念なり。此法を用いてすべてに行ひをなさばすべてに通ず。故に念力は通ずることの理も推して知るならん。 無言詞は念ぜられて、初めて有言詞となる。 是化合するが故なり。 問へば答ふ。 是又念の力なり。問ふとは薬を与ふるに等しく、答ふとは即ちききめに等し。問ひても答へざるはききめうすき故なり。此理を知るならば自問自答の方法も従って判明するならん。 諸子の自問は調合の不完全なるが故に、自答も不完全となるなり。 心と心を正しく調合して与ふれば、ききめは顕著なるが故に、答への結果も極めて顕著となることは是又理なるべし。
罪人を縛る一本の縄は細き繊維を捻じたるものなるべし。細き繊維が集りて捻ぜられたるいましめの縄によつて、罪人を縛る如く心の繊維を集めて何を縛らんとするや。悪の報は悪の縄に依て縛らるるや。或は善の縄によって縛らるるや。善因善果 悪因悪果と云へる教へはあれど、仔細にこれを検討すれば、又新らしき考へを起すならん。念の力は心の繊維の集めかたに依て、種々様々異りたる法の現はるるものなり。悪人のみ縛ばられて、善人は縛ばらるることあらじと考ふるは誤ちなるべし。善人は善に縛ばられて悪をなさざるのみ。悪には悪の縄あり。善には善の縄なかるべからず。即ち善に縛られ、悪に縛らるる故に、人間の生活は不自由となるなり。是理窟にあらず。一つの法を設けてその法に従はしむると云ふも即ち束縛(なわめ)なるべし。斯く考へ来る時、法とはものを縛る縄なりと云ふもこじつけの理窟にはあらざるべし。人と人との約束は、即ち自他の二者が念となりて初めて、法は現はれたるならん。法とは一種の力なり。 自他の約束が守られざるは念の力うすくして、法の力のよはき故なり。この理を考ふれば念ずる力の程度は、即ち念の強弱によるとの理も知ることを得るならん。 気の力は集れば実に広大なるはたらきとなる。 空中に起る雷が地上の物体を粉砕する力を有し居るを見ても、気の力の如何に大なるかを知ることを得るならん。 人体小なりと雖も是に宿り居る気体のはたらきが如何にすぐれたるかに思ひを致さば、修養修行の念力は粗略にはなしがたからん。

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