未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百七十回 絶対界 第九章 無言詞を理解する魂にあらざれば、神の教へを知ること難し。既に一流界に入らば最早言葉の必要はあらざるなり。言葉なくして凡てを知る。故に全宇宙の総ては解せざることとしてあらざるなり。語らずしてすべてを知るにあらざれば、神を知りても何等の価値もあらざるなり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 
第九章
           テツシン貴尊講義


 諸子の考ふるところの生死は肉体の不滅、滅を聯想するならん。 肉体は限度ありて時至らば捨てざるべからず。是は諸子のよく知るところにして当然なるに不拘、生死と云へば肉体にのみ心を置くは、是末だ正しき生死の方向に思ひをむけざるが故なり。我等が語る生死とは又別個のものにて、所謂空の生死を語り居るなり。末熟の魂をそのままになしおきなば、魂としてのはたらきをなすことあたはず。魂としてのはたらきをなす事を得ざれば、其は死なり。故に魂としてのはたらきを完全ならしむる方向に努力するを、生にむくると云ふことにて、即ち魂を完全に稔らせよと云ふに他ならず。 名づけて是を生の方向に向ふと云ふなり。
魂に生を与ふれば、無言詞は従つて有言詞に化せられて働く。 無言詞を理解する魂にあらざれば、神の教へを知ること難し。既に一流界に入らば最早言葉の必要はあらざるなり。言葉なくして凡てを知る。故に全宇宙の総ては解せざることとしてあらざるなり。語らずしてすべてを知るにあらざれば、神を知りても何等の価値もあらざるなり。語らんとして語ることを得ず。されど神はその語らんとするところをよく知る。一流界に居を占むれば、すべては斯くの如き有様なるによつてなさんとせばすべては成立す。 全宇宙にまたがりて己が心のままにすべてに通じて行ふことを得ば、何等の不自由を感ずるものにあらず。 是真の自由と云ふなり。 自然とは無言詞の世界に入るにあらざれば、正しき自然を知ること難し。大自然の妙味はここにあるなり。
諸子は肉体と云ふ機械ありて、其機械をはたらかせずば、何事をなすにも不便を感ず。一流界に上れば、すでに肉体などの機械を用ゆる要もなく、すべては意のままになすことを得るなり。 斯る事のなし得らるるも是皆、神の力によってなりと知らば、神の力の如何にすぐれたるかを知るならん。然してその力を有する神とは、何なるかも知ることを得るにあらざれば、神に接することの難きも推して知る事を得ん。 ひるがへって諸子は己に与へられたる肉体を、此理より更に新らしく考へ見よ。神ありて力、力ありて無言詞、無言詞より有言詞と成長し来る時、有言詞をは働かせんとするには、何か具備あるものを造らざるべからず。 無言詞を有言詞に化せしめて、其を以て世に知らしめんがために、諸子の肉体と云ふ機械を造るの必要に迫られたるにてはあらざるか。 有言詞に化せしめて、其によって種々様々の事にあたらしめんがために、肉体と云ふ機械を用い居ると知るならば、有言詞をはたらかす機械は所謂諸子の肉体なるべし。 所謂全宇宙の神秘を、すべて有形のものより無形の方向にむかはしめんがための用具として、 諸子の肉体は地上に現はされたるなりと知るならば、すべてのものをその方向に導くためのはたらきをなさずば、機械としての任務は、果されざることの理は、推して知ることを得ん。其機械を運転せしむるものは、即ち魂なり。その魂を完全無欠のものになさざれば、正しき機械は運転すること難からん。 魂の働き優るるに至らば、肉体の機械は如何なるものに変化すとも、自由自在に運転せしめて、更に其より其へと事にあたって、適宜に任務をはたす事も容易なるべし。 十流界には諸子の如き肉体にても任務ははたさるれど、すでに九流界以上とならば諸子の如き肉体にては、任務をはたすこと難きが故に、其々機械の構造を変ゆるの必要に迫られて、次第に変化なしつつあるなり。最後に至つて一流界ともならば、最早斯る機械を有せずとも、すべては、自由に任務に服することを得るによって、ここに至ってはじめて、真の神務に順ずることを得るなり。是を生より生に進むと云ふなり。故に諸子には諸子の任務あり。此任務を粗略にして機械の故障ある時は、更に又新らしき機械を造りて、其を運転するにあらざれば、任務は果されざる事の理も推して知ることを得るならん。是を天の使命と云ふなり。天の使命をはたされずば、幾度となく新らしき肉体の機械を備ふるの要らん。この事をよくよく覚られんことを!、此理を知らんとならば「未知日記」全巻を参照せよ。

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