未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百六十九回 絶対界 第九章 肉体に宿りて初じめて宝の力が現はる。故に魂は無言詞に、或は不滅母に帰すると云ふことに対しても、この言葉より推測せば自づと自覚することを得ん。魂は天に属し、肉体は地に帰す。 魂と肉体の両々相まって初じめて、人間としての任務ははたさるるなり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 
第九章
不滅母霊子と無言詞の関係
 



 所謂声なき声、音なき音、即ち無声音無音声と云ふは是なり。諸子は常に種々様々の事柄を感じ居るは、すべて心のはたらきにして空間にのびたる枝葉が、風によつて動揺なしつつあるに他ならず。 是を心のはたらきと云ふ。枝葉は心に合ひ、幹は魂に合ひ、根は霊に通ず。然して修養修行は此理に基きて工夫せば可なり。 枝葉は風のまにまに動じ居れど、幹は強風にあらざれば動ずるものにあらず。然して根は、幹、倒るるにあらざれば、変化せざるは諸子もよく知るところならん。人の心魂霊はかくの如き関係あるによって、その心して修養の法を自得せばうなずくところ多からん。柳は風のまにまに従ひて逆らはず。風なければ平然たり。幹是に従ふ。根も然あるなり。諸子の心は柳の如く風にまかせて逆はずば、幹を倒すことなかるべし。 名づけて是を柳の修行と云ふなり。是等の法は行者が常に守り居るところ又行ひ居るところなり。
諸子の語るを聞けば宝とは外部より内部に通ずるを云ひ、力とは内部より外部に通ずるを云ふと称し居れり。故に宝は天の恵みにして、力は地の恵なりとの意味を語り居るならん。然りとせば宝は空にして、力は実在の関係の意味に通ずるならん。この言葉より考察する時諸子に与へられたる魂は、宝にして、肉体は力なりとして工夫するも可ならん。 力と宝、何れが尊きや。云ふ迄もなく魂の宝は尊とかるべし。 肉体に宿りて初じめて宝の力が現はる。故に魂は無言詞に、或は不滅母に帰すると云ふことに対しても、この言葉より推測せば自づと自覚することを得ん。魂は天に属し、肉体は地に帰す。 魂と肉体の両々相まって初じめて、人間としての任務ははたさるるなり。 天の宝、地の肉体、是をつなぐものは心のはたらきなるべし。 心正しければ人道は全し。 宝と力の二者によって心を清むれば、身心魂の発育は得られる理も推して察することを得るならん。 身心魂三味一体となりて、不滅母の働き加はるによつて、はじめて身心魂霊の四つは完全に一体となる。身と心は力なるによって軈ては亡ぶることもあらん。 されど魂霊は宝なるによって天に帰れば、亡ぶることのあらざるは是又当然の理なるべし。即ち空を空にかへせば、空となりて尽きるところなく持続し行くは、大自然の法則なるが故なり。 諸子は深く追究して或ひは疑ひ、或は信ずる等のことをなさずとも可なり。亡びざるものは亡びざる姿に、神は作りあるが故に、なさんとしてもならず、ならざるやうになさんとするも亦不可なり。自然の法則は曲げんとして曲げらるるものにあらず。又倒さんとして倒さるるものにもあらざる故なり。空しき方向に思ひをはせて、徒らに光陰を空しくするの要もなからん。唯空にかへれば永久不滅なりと思ふだけにて止め置かば其にて可なり。死せんとして死ぬことあたはず、生きんとして生くることあたはずば其は空し。死するにあらずして、 生きるなりとの思ひを貯へよ。然して生きる方向に足をむけなば、その道こそ正しきなり。諸子は此理を知るや。

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