未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百六十八回 絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 厳戒の辞 厳戒の辞即ちチ、シュ、キュ、ジョウ、ギョウ、コウ、フク、センの十五文字に他ならず。厳戒の辞を送らば忽ち枝葉となりて、その意味を何ものかに通ぜしむることを得るなり。是即ち無言詞の威徳なるによつてなり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています

絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 
第九章
不滅母霊子と無言詞の関係

神に厳戒の辞を送らば・・・

           テツシン貴尊講義


 自在論より此書に至る迄の間に、一言も使用せざりし言葉を我今ここに掲げたり。即ち馬鹿々々しきと云ふ俗言なれど、この言葉には聊か無言詞を教へるにあたって、参考となるべき言葉なるによって、かかる俗言をわざと用いたるなり。この馬鹿々々しきと云ふ語は罵り嘲りの意味に使用せらるるものなれど、用法の如何によっては、種々様々の観念を与ふること多し。 「馬迦々々と罵られても腹たたず」と云ふ句さへあるにてはあらざるか。 発音の如何によつては或は怒り、或は笑ふ等のためはあるならん。 時によりては人を傷け、時によっては人に親しむ。 されどその言葉は罵り嘲りの意味に他ならざるべし。 一つの言葉に於ても、その言葉の意味が同一なるに不拘、そのはたらきが或は気となり、或は動となるは、其折々の環境に応じて異なる。是即ち無のはたらきに他ならず。 故に時には陰となり時には陽となりて動ず。是等を名づけて無言詞と云ふなり。不滅母の関係あるが故に、無言詞ははたらく。無中の無とは是等に類す。我かかる曖昧なる言葉もて語るとも、諸子には理解することあたはざるべし。されどその理解し難き言葉の中に何かが潜在し居りて、 諸子の脳裡に一種の無感覚性なるはたらきを与ふるならん。 所謂有中に有ありのためしなりと知るべし。
 斯くも曖昧なる言葉もて諸子を導かんとするとも諸子は此書を捨つること勿れ。唯その中より何ものかを発見せんと努力せられよ。一個の不思議なる霊の現はれて、 諸子の脳裡に言葉なき言葉が、伝はる一種の法術にすぎず。是等を無言詞のはたらきと云ふなり。この文意を理解するやときかれなば、諸子は直ちに然らずと答ふるならん。 迷語は却て人を導く方法として用いらるること多きが故に、 我等は特にかかる雑文を描きて諸子を迷はす。 迷ひなばその居に安んずることあたはざるべし。 居に安んずることあたはずば、何処か目標を見定めて其処に赴かんと計るは、是当然の理なるべし。早くこの迷ひより度脱して一定の安きに住せよ。
 諸子の日常用い居る言葉は前述の如き有様にて、不完全なること夥し。 是非に区分せられざる底の絶対語にあらざれば、真の言葉とはならざるなり。 「未知日記」 前巻に於て掲げる句に「米洗ふ前に蛍が二つ三つ」、此句は死したる蛍にて「前をほたるが二つ三つ」と云ふが生きたる蛍なりと云へる句を説きたり。わづか【に】と【を】の文字の使用法にて、生死の区あるも是言葉の絶対ならざるが故なり。 絶対の言葉は左右せらるるものにあらず。 故に動かし難き言葉は、無言詞ならざれば得難し。即ち無言詞は不滅母より現はれたる言葉の、二葉なるによってなり。否、芽なるによってなり。 是が二葉となり更に枝葉と栄えて、種々様々の言葉に化せられ行くによって、斯も複雑なるものに育て上げられたるに他ならざることも、推して察することを得るならん。故に無言詞に入るには、不滅母の地点迄到達せずば、言葉のための可否は知ること難からん。 この処迄帰りて言葉の種子を選択し、良き種子のみ育てて悪き種子を捨つるにあらざれば、望は達することを得ざるも当然なるべし。さればその種子とは如何なるものか。曰く、厳戒の辞即ちチ、シュ、キュ、ジョウ、ギョウ、コウ、フク、センの十五文字に他ならず。是が繁茂して種々様々に枝葉のばさば、其は真の言葉となりて神霊に通ず。 仏教者の云ふ題目とか称名念仏とか云へる文字も即ち種子なるべし。されどその題目念仏は全宇宙全部に通ずるものにあらず。 わづかに諸子の世界に通ずる言葉にすぎざるなり。されど厳戒の辞は、宇宙全土に通じて外るることなく、すべてに渡って貫徹す。故に己の心底よりわき出でて其が言葉にて云ひ現はし難くとも、厳戒の辞を送らば忽ち枝葉となりて、その意味を何ものかに通ぜしむることを得るなり。是即ち無言詞の威徳なるによつてなり。

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