未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百六十四回 絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 魂は空にして限度なき底のものが、諸子の肉体を包含し居る事に心づかば、諸子は今迄の考へを一変して、魂の偉大なる方向にまなこを向くるの法を考究せざるべからず。何となれば魂は空なるが故なり。 諸子の肉体の増減変化は、すべて空の作用に他ならず テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 
第九章
不滅母霊子と無言詞の関係
           テツシン貴尊講義


 魂の用法に対しても、霊の方向にむくるにあらざれば、その根原を見ること難し。 諸子は生活と云へば肉体の事にのみ囚はれて、すべてを肉体に任せ居るが故に、魂も心もすべて肉体の方向にむけられ居るなり。生活とは肉体を長く世に止むることにあらず。 肉体のみ生活せしむるとも、軈ては分解して消滅す。故に真の生活とは肉体に宿り居る何ものかを、永からしめんとするを指すならん。肉体に宿り居る何ものとは、即ち魂を云ふなり。然りと雖もその魂なるものが、空虚なるものの如く思ふが故に、肉体亡ぶれば共に影を没すとの考へを起すならん。是等の考へは肉体を対象としての考へなるによつて、所謂実在方向に囚はれつつ研究なす結果、遂には魂を忘れて実在の肉体にのみ重きを置く結果となり居るなり。 全宇宙の中に数多のものが実在なし居れど、その実在は全宇宙の空より見れば、至つて軽小なるものにて、空の大きさは計り知ること能はざる底のものなり。 実在のものは如何に多くとも、数によって計算をなすことを得れど、空の大きさは数によって計り知ること難きに徴しても、空の作用の偉大さは推して知る事を得るならん。是を諸子の肉体にとりて考究し見よ。諸子の肉体は極めて小さし。されどその個々に備はりある魂の大きさは、計り知るべくもあらざる底の、具備ある事に留意せざるべからず。魂は空にして限度なき底のものが、諸子の肉体を包含し居る事に心づかば、諸子は今迄の考へを一変して、魂の偉大なる方向にまなこを向くるの法を考究せざるべからず。何となれば魂は空なるが故なり。 諸子の肉体の増減変化は、すべて空の作用に他ならず。諸子の肉体より八方十方に放散なし居る空の力は偉大なり。是を仏教にては肉体より発する光明と称へ居るにてはあらざるか。地球の周囲は空によって包まれ居るを見ても明らかなる如く、諸子の肉体は即ち空の中に包含せられたるものなれば、その空の力を益々強化して、全宇宙に迄同化せしむる働きの備はりある事に、早くめざめたる者こそ、真の幸福者と云はざるべからず。居ながらにして宇宙を知る。是汝に備はりたる魂の力が、次第に霊の方向に進み行かば、斯くも偉大の姿となるなり。故に肉体亡ぶとも、霊魂は不滅となりて永久亡ぶることなきなり。 斯く語らば儲子は云ふならん。霊に包含せられたる肉体ならば肉体消ゆれば、霊も亦消滅するにてはあらざるかと。即ち肉体は中心なるが故、其中心を失はば零空は消滅すと考ふるならん。其は理の如く思はるれど、決して然にはあらざるなり。諸子は生れし時の姿のままにて、死する迄同じ姿にてはあらざるならん。例へば一個の種子が地に下されて二葉を出し、 次第に成長して大木となる。其と同様に嬰児より幼児、幼児より小児、小児より壮者老年となりて、軈て其が破壊分解されて皆其々の分野に帰る。然して宿りたる魂なるものが共に亡びるものならば、神はかかる無益のものを作り給ふ道理あらんや。肉体を作りその肉体に魂と云ふ種子を蒔きて、肉体によって魂を育てありとして考へを新にせよ。例へば地球を造り、その地球に種々様々のものを更に作り居ることより観察して、 是を肉体にとりて考ふるならば、自づと理解する事を得るなり。諸子は肉体を中心として考ふるが故に、かかる誤ちたる考へを持つなり。所謂中心は肉体にあらずして、肉体に宿されたる魂こそ中心なるが故なり。是を諸子に解し易く説明するならば、魂と云ふ人間に、肉体と云ふ衣を纏はしめたると同様なりとして工夫し見よ。 肉体の衣は破損すれば、衣がへをなさざるべからず。故に肉体亡ぶるとも中心の魂は、裸体となるのみにて、決して亡びるものにはあらざるなり。

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