光明論を転記し終えて・・・・・セイキョウよ。汝は未だ後年を考へざるが故にかくも思ふなり。今後数億年先の姿を予期せば如何!」と申されたれば、我も其意を汲みとり尤として命に従ひたるなれば、此書は現在の書にあらざることを承知せられんことを!

 
 

 昨日で未知日記の書「光明論」を転記し終えました。上巻263頁、下巻269頁、合わせて532頁の大著書です。この未知日記書の書は全部が全部文字も細かく、普通一般に世に出回っている書籍の二倍から三倍の大容量の著作物です。ですから1000頁から1500頁の大著書だと思って頂ければよいと思います。まして人類が記した文章でなく高級神霊が著した書物です。今迄、僕はこの書を12回読んできました。しかしいくら読んでも恥ずかしい話、僕のぼんくら頭では解からないことばかりです。でもわからないなりに、読み終えれば最後は嗚呼、有り難いなという感謝の気持ちで一杯になります。今はそれだけでも充分だと思っています。
 この書の構想は教主寛大が練られ、教主をはじめテツシン貴尊、セイキョウ貴尊、ミキョウ貴尊など四教主の方々が執筆なさっておられます。いま調べてみたらこの書は昭和二十年四月二十日から翌年の昭和二十一年九月二十六日まで一年と半年で書きあがっています。慈音さんが身体が芳しくない不調の時でも、貴尊が暫く休もうと仰ってもそれには肯ぜずと講義の継続要請を望まれたそうです。とても有難いことです。
ここでセイキョウ貴尊の言葉を引用します。

「汝等(慈音さんと慈声さん)は国を憂ひ世界を愁ひて早く此書を完成せんと計り居る心を我等は嘉(よみ)す。されど此書を読むもの幾何ありや。又此書に眼をむけんとするものの現はるるは何日の日か、時未だ早からん。世人はこの書を読むにあたって信ずるものは信じて読むべし。疑ふものは疑ひて読むも可ならん。唯我等はありのままを語りて世人に知らしむるに止むべし。信ぜよとも疑へよとも我等の口より語らざれど信ずるならば信ずべし。疑ふならば疑ふべし。
我、下界より慈音をこの所(如意界)に導きたりと云ふさへ世人は信ずること難からん。ましてこの階の様を彼是語るとも信じがたきは当然なり。そは我等はよく知るところ、又我、姿を現はさずして下界に座し居る慈音を座せしめしまま、後方に一二間退かせしと語るとも其れにすら信ををく人はあらざるならん。人の程度はかくの如き程度にて、我等が眼より見る時浅はかなる者なることを知るによって、天界の様を語ることは好まざるなり。然るに教主は我に対して仰せらるるには、
「セイキョウよ。汝は未だ後年を考へざるが故にかくも思ふなり。今後数億年先の姿を予期せば如何!」と申されたれば、我も其意を汲みとり尤として命に従ひたるなれば、此書は現在の書にあらざることを承知せられんことを!」と

教主寛大はまた次のように語られておられます。

「我は神にあらず。汝も亦神にあらず。されば我は神の子なりとせば、汝等も亦神の子孫なるべし。神は我を造りたれば汝等も亦神に造られたり。然らば神は我等の造主なり。我と汝等の関係は去年(こぞ)とり入れたる米と、今年とり入れたる米の間にすぎざるなり。汝等もし藁にて終らば世の人を飢えさすならん。汝等は唯米となり居らば其にて可なり。汝より進んで人に喰はしめんとせずとも、飢えたる者は汝を喰ひて飢えざるべし。然らば汝は天命を全うなしたるなり。この理をよくよく究めよ」と
『また教主はテツシン貴尊のことを人間に生まれて数極年の時間が経過していると述べられています。現在日本で一般的に行われている万進法では 10の48乗 を指す。
極とは
10000000000000000000000000000000000000000000000000年、
兆とは1000000000000年を表します
では兆は万進法では 10の12乗 を指す。そのテツシン貴尊が教主のことを神と崇められています。では教主は人間として生まれどれほどの時間が経っているのか。それは途轍もない時間が経っておるのでしょう』ネツトで見ると宇宙がうまれて百億年など僅少の数字が提示されていますが全く笑止の沙汰であると云えましょう。この教主寛大は全宇宙の創造神の直子であって、各貴尊方は教主のことを神として崇められています。未だかって神の領域にある神霊の言葉を正しく地球上に下されたことはありませんでした。モーゼの十戒をはじめ聖書の短い言葉の断片その残滓等、また仏書に散見する神霊方の詞などはみな人を介して幾人もの人が咀嚼解釈したあとの短い言葉の警句に過ぎません。この未知日記の書は聖霊の詞を一言一句も誤たず精確に書き留められたとてもとても大事なものです。人類の持つ精神的所産の中で最高位に置かれるものなのです。今後、何千年、否、無窮の歳月を経ても決して色褪せることなく益々輝きをもってこの一連の書籍は残存してゆくことでしょう。今生、人として生を享けたる以上、このような稀有な書を一瞥もせずしてただ素通りされてゆくのはとても勿体ないことであると思います。どうぞ皆さんも幾度も幾度もこのブログ上から貴尊方の肉声を聴取されて、深く味わって自らの魂に刻印してみてください。まあ、私たちがが生きて世に在世しておる間は神霊の肉声を聴く、これが最後の機会になると断言します。未知日記の書の何処かにこの書を最初に理解するのは外国人の人々であると書かれていました。日本人が読んですら儘ならぬのに如何して異国人なのかと思うこともありましたが・・・・・
貴尊方は私たちのような短視眼でなく百年、二百年それ以上先の遠い日本の未来を俯瞰して言明されて居られるのでしょう。
 いま僕のブログの中で一番よまれている箇所は上記のこの文章です。僕の出身母体であるムラゴンブログ村では僅かに二人、あとの四十数名は日本ブログ村の皆さんです。まして僕の出生地である勝山市の読者はゼロ。僕の子供も孫も妻もそして近隣の人も悲しいかな誰も読んでいません。僕がブログをやっていることを知っている人はほんの数人しかいません。でも軈て僕の死後段々と読まれて行くことでしょう。ふ-うん、あんな爺さんがこんなことやっていたのかとすこし驚くと思います。
日本ブログ村のpvランキングでは本ブログでは九位、自費出版では一位、地域生活中部ブロックでは三十一位、勝山市情報ブロックでは一位となっています。人を楽しませるブログでは決してなく、貴尊の難解な言葉を啓上しているブログですが非力な自分の割にはよく健闘していると思っています。でも後々このブログ内容が真の神霊の言葉であることを多くの人が知る事になるでしょう。
さて次回からは埼玉県にお住いのヒロさんが転記されたテツシン貴尊の絶対界をこのブログに載せさせて頂きたいとおもつています。最近僕はもう眼も耳も疎くなつてしまい、パソコンで絶対界を転記することできず、誰か手伝ってもらえないかとブログにメッセ-ジをながしたところ、埼玉県にお住いのヒロさんが快諾してくださいました。とても有難いと思っています。絶対界も同様とても難しい本です。世の中に横溢する人を楽しませるブログではありませんが、お読みくださった後はきっと貴方も神霊に無上の感謝と報恩の思いを強められることと思います。
                     yu-

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