未知日記霊話集千二百十一回 光明論 下巻 巻の十 神は我を造りたれば汝等も亦神に造られたり。然らば神は我等の造主なり。我と汝等の関係は去年とり入れたる米と、今年とり入れたる米の間にすぎざるなり。汝等もし藁にて終らば世の人を飢えさすならん。汝等は唯米となり居らば其にて可なり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 汝等は死して生きたる屍を残しその屍には情と愛のみ残せり。是を満足に育つれば霊光はその情愛を発育せしめ更に慈悲の徳をも与ふるならん。斯くならば生ける屍は再起するに至るべし。是仏教に称ふる往生にも合はん。慈悲はつくらんとして作り得るものにあらず。情と愛の完全結合によって生ず。此理はギョウ。コゥ。フク。センの門を見聞なしたる汝等はよくその意味を推知し居るならん。故に我多くを語らじ。汝等独力修行せよ。
 汝等世を救はんと考ふること勿れ。即ち救はんと思ふ心には慾望を伴ふ故なり。慾望には無理を伴ひ自我を誘発するによって却て救ふあたはず。他の疑惑をうけて救ふものと救はれざるものとを生ずべし。されば救ひは一切すべてに及ばざれば優れたる救ひにはあらざるなり。故にすべてを神の仰せに従ふべし。我は神にあらず。汝も亦神にあらず。されば我は神の子なりとせば、汝等も亦神の子孫なるべし。神は我を造りたれば汝等も亦神に造られたり。然らば神は我等の造主なり。我と汝等の関係は去年とり入れたる米と、今年とり入れたる米の間にすぎざるなり。汝等もし藁にて終らば世の人を飢えさすならん。汝等は唯米となり居らば其にて可なり。汝より進んで人に喰はしめんとせずとも、飢えたる者は汝を喰ひて飢えざるべし。然らば汝は天命を全うなしたるなり。この理をよくよく究めよ。有形の救済にもあれ或は無形の救済にあれ、世を救はんと云ふことは結構なることにて何れの法にてもよし。相互に救ひ救はるる事を努力せざるべからず。故に有形無形の救済法は是を一体となし、否一体化せしめたる法を工夫せば、その結果は絶対救済となるは必然なり。絶対自由の沓をうがちて全宇宙の至るところをかけめぐり、絶対救ひの笏を以て一切を救済してなやめる者なきに至らしむれば、永久平和の楽みは得られん。我等が神に願はんとなすところは是なり。神は是を望み給はん。情(なさけ)も光明なり。愛も慈悲も信仰も自由も救ひもすべては光明に帰すべし。汝等心の暗きは信仰うすきが故にこの光明の輝きはにぶし。されば信仰を益々強くして明るき心を求よ。是わが最後の教訓なり。
              昭和二十一年七月十六日~
                    同年九月二十六日


             光明論    完

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