未知日記霊話集千二百六回 光明論 下巻 巻の十 空気は昼夜の別なくすべてを救へど、太陽には昼夜の隔あればなり。されば有形と無形と一体となり絶対の救済にあらざるべからず。汝等にして此理を認識するにあらざれば世を救ふことは難からん 教主寛大講義

未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 泰岳は他の多くの徒弟より質問を受くるも我は知らずと答つつ明確なる解答を与ふるも、是無形の救済なり。然して一切衆生は彼によって救はれ居るなり。杖来いと喚べば死したりと思ふ錫杖(しゃくじょう)すら彼の徳になびき来るにはあらずや。是まことの救済の威徳は斯くも広大なり。有形救済は自己を伴ふ。されば無形の救済こそその徳の力は広大なり。即ち無形の救済は空気の如し。有形の救済は太陽の如し。何となれば空気は昼夜の別なくすべてを救へど、太陽には昼夜の隔あればなり。されば有形と無形と一体となり絶対の救済にあらざるべからず。汝等にして此理を認識するにあらざれば世を救ふことは難からん。
 例へばここに一人の病める人、汝に来りて救ひを求むるに、汝はその術を知らねば彼に向ひて我はその術を知らねど神に願ふべしとの心にて答へなば、彼は余儀なく去りて後彼の病は治癒すれば其にて汝の救済は成就したるなり。然るに我は術を知らぬに不拘哀と思ひて信仰の徳現はるるやも計られずなど考へて、彼が頭に手を差し延ぶるは是有形救済にて、我と云ふ自己を現はすにより彼は治癒することもあり又治癒せざることもあるなり。故に汝等は泰岳を学ぶべし。是無形救済の法に合へばなり。
 兎角世の中の宗教者は己が宗教の威徳を知らしめてその徳を信ぜしめんとして、様々の魔法を行ひて大衆を引き入れんとなすは是有形救済なり。即ち慾望あるによって救はるるも亦救はれざるとに区分さるべし。己自ら世を救はんと思ふは悪しき事にはあらざれども其は有形救済に属するを以て、自づとそこに苦痛と無理を伴ふこと多し。されば己は神より命ぜられたる機械なれば、神の声に応じて機械を運転なすに止むれば可なり。何事も神の仰せに従ふにしかず。神は世を破壊し給はざればなり。汝等が種々様々思ひ惑ふは却て世を破壊するによってなり。徒らに労して功なき思ひは害多くして益少なきのみならず。汝の心を傷くるの恐れあり。心傷かば信仰の帯はゆるみを生ぜん。信仰の帯ゆるまば神をも疑ふに至る。

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