未知日記霊話集千百八十六回 光明論 下巻 巻の十 情(なさけ)愛慈悲の三状完備してここにはじめて自由の沓は許さるれ。怨み憎悪嫉妬などの心ありては正しき自由は許容されざるなり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 この種子は如何なる方法によって求め、又如何なる方法によって蒔くべきかと言ふに、その方法はきはめて簡単にして労苦を要せず、唯信仰の種子を己が心中に蒔きたりと思はば其にて事足るなり。又情の種子愛の種子慈悲の種子悉くも亦同様なりと知らば可なり。汝等解するを得たるか。汝等解するを得たれば我、汝等に与へたる衣はみな其々の種子なりしことに気づきたるならん。是等を地面にたとふれば信仰は水田の土手に等しく情(なさけ)愛慈悲は水面に等しき関係あり。もし信仰の土手くづるれば情(なさけ)愛慈悲の水は保たれざるなり。是にてすべては明らかとなりたるならん。
 されば霊光の冠とは何に相当するかと云へる事なり。霊光は衣にあらず。又種子にもあらず。即ち田を耕作(つく)る耕作主と観察して考へ見よ。然せば理解は容易なるべし。然して救ひの笏はわざ、自由の沓とははたらきを意味するなり。この耕作主が怠慢ならば怨み憎しみ妬みなど云へる様々の雑草ははびこり出でてすべての善良なる種子の発芽を妨げて果は枯死せしむるに至らん。されど霊光の造主(つくりぬし)は決して斯る愚なることをなさざるなり。
 汝等はこの冠を戴くならば衣服は常に清められて汚損等の憂更にあらざるなり。梅には酸、桃には酸甘(すあま)、柿には甘渋(あましぶ)の特性を保持す。是等は人の口を味はひ潤(うる)ほさんとて彼等は育ちたるにあらず。情(なさけ)の木愛の木慈悲の木も同様なりと考へよ。この三本の木は人の育てざるべからざるものなりと思ひて養育せば可なり。情(なさけ)愛慈悲の三状完備してここにはじめて自由の沓は許さるれ。怨み憎悪嫉妬などの心ありては正しき自由は許容されざるなり。
 汝等人間界を安らかならしめんがために談合して、約束を結ぶ法律を作りながら夜は戸締りを厳重にせざれば安楽の夢を結ぶ能はざるならん。斯る不自由の世界にありながら口先ばかり自由主義を振りかざし居るは真の自由を知らざる故なり。情(なさけ)愛慈悲三様具備して得たる自由にあらざれば真の自由は望まれざるべし。

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