未知日記霊話集千百三十九回 光明論 下巻 巻の九 大凡コゥの門は斯くの如きはたらきをなす。是は僅かにその末端の一毛に過ぎざる事は云ふ迄もなし。此門は聾唖者にも言語を知らしめ盲者にも光明を見せしむるは云ふ迄もなし テツシン貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 コゥ の門


                  テツシン貴尊 講述
                   

 汝の眼(まなこ)に如何に映ぜしか。今我見る処によれば汝は自らの現在行ひつつある事柄の可否を試し居るならん。我には見ゆれど他の人には見る能はざらん。故に他の者に説明なすべし。ギョウの門にては問へば答へを与ふのみにて汝の考へに対しては何のしるしも見せざりしに、コゥの門にては先づその考へを先に現はし、然して其考への変化を示めす故に、ギョウとコゥとの相違はコゥは一歩進歩を見せつつあるを知るべし。今この学童の考へをコゥの門は形の方面に於ては光波を拡大し気波を縮小しつつあり。是は眼に映ぜしめ居るなり。
 次に耳に与ふる言葉の感受によれば汝の考へは将に熱意一方に偏して冷静を欠く故に、すべての処理は一方的となるによって成立せず。常に労苦は絶えざるなり。されば冷熱一体の境涯に入りて福徳円満ならしめよと教へたり。是言語感応なり。
 次に肉体感応を見るにその変化は極めて深刻なり。上りては落ち、進みては退かしめ果は疲労困憊して倒れたり。是肉体に関しての感受なり。
 大凡コゥの門は斯くの如きはたらきをなす。是は僅かにその末端の一毛に過ぎざる事は云ふ迄もなし。此門は聾唖者にも言語を知らしめ盲者にも光明を見せしむるは云ふ迄もなし。是は此門を見たる者の眼耳及び身体に感じたる表面にして内面の感じは未だ修行半途なる汝等には到底看破するを得ず。されば汝等一般の修養資料の参考として極めて公益なるにより詳細に説明せん。

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