未知日記霊話集千八百七回  帰途案内記 NO223 酒煙草を好める人に対して、友より勧められて是を禁止することは難し。されど肉体に病ある時医師が命令的に禁止せよとさとせば、余儀なく是を実行するならん。心の持ちかたとはここにあるなり。友より忠告せられたる言葉にては、改まらざるものが医師の命令には従ふならん。修養の大切なるところはここにあるなり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
セイキョウ貴尊 講述
                     


 楽みも苦みもすべては頭に帰す。この苦みをとり去りてすべてを楽みに化せしむれば、頭は安らかなる如く、二流界はすべての苦みを排除して、楽みの世界と変じ然して肉体全部をおさめ居る如く、二流界はすべての下界を安らかにおさめんと、努力なし居る事に考へを進めて、是を二流界の姿より己の肉体に引用して、汝等自らの肉体ををさむることに努力せば、従ってすべての悩みは清除されて身心共に安からんとの修養をなさば、我等の語る二流界の談話は夢物語として聞き逃すにも及ぶまじ。即ち修養修行の資料として利益の方向にむけなば可ならん。
 兎に角二流界は心の世界なりと語りしは是なり。故に二流界の人類の肉体を世人の姿に比較するならば、世人の心と思ふものは二流界の人種の肉体に相当すと考へなば可ならん。故に世人の苦みと思ふことも又楽みと思ふことも、すべては肉体より心の満足を得せしめんと計り居るに引きかへ、二流界の人類は魂より心の肉体を支配なし居るが故に、心より魂を喜ばする必要はあらざるなり。魂より支配せらるる心安らかなれば、心に匹敵する肉体に対しては別段彼是の必要はあらざるなりと思はば合点ずくところあるならん。
 世人は毒と知りながら毒を求めて肉体を傷け居ること多からん。毒と知りながら毒を求むるは、即ち心の楽みを得んと計るによってなるか、或は肉体の慾求によるかを考ふる時、身心何れなるかに留意し見よ。肉体の慾求と思ふとも心の慾求に帰するならん。肉体の慾求か心の慾求かに迷ふこと多かるべし。
 例へば酒煙草を好む人が如何に努力すとも是を禁止するあたはざるは、身心何れかの区別を考ふる時、飲み度しと思ふは肉体か、或は心かと聞かれなば答へに苦むならん。もとより医学上にては解決を与ふることを得れど、其は肉体組織よりの理論にて、身心一体の明答とは云ひ難し。肉体と思ふことも 頭が是を支配する以上、そは脳のはたらきなりと云ふならば、脳のはたらきは即ち心より生ずる原因なるが故に、帰するところは心なりとの結論に達せん。心失はば神経是に伴ふ。されば帰するところは心なるべし。然りとせば肉体の慾求も帰するところは心となる。此理よりすべてを考究せば、心の持ちかたの如何によっては、肉体を支配することは至難にあらずとは考へざるか。
 我、かくもまぎらはしき言葉もて語りしは他ならず。酒煙草を好める人に対して、友より勧められて是を禁止することは難し。されど肉体に病ある時医師が命令的に禁止せよとさとせば、余儀なく是を実行するならん。心の持ちかたとはここにあるなり。友より忠告せられたる言葉にては、改まらざるものが医師の命令には従ふならん。修養の大切なるところはここにあるなり。今少し是等に関して語らんとす。考へながら此話を聞くべし。

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