未知日記霊話集千七百九十一回  帰途案内記 NO208 個性を知ると云ふは彼の魂の程度を計らざるべからず。先にも語りし如く心は法なり。魂は大師なりと語りし如く、その大師をたづね求むるにあらざれば、個性の如何を知ること難し セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
セイキョウ貴尊 講述
                    


 霊は零に和して霊を作ると云ふ教へあり。品位とか云へるものは即ち零より生れたる霊なるべし。自然に具はれる威厳或は其人々の人徳などに対して、皆其々異なり居るもその個々に有する性格の相違にして、是等は人力に依て如何ともなし難し。さりながら教育の程度によって、或は一定のところ迄は、是を改めしむることを得るなり。人間の徳不徳は神の定め給ひしものなりとして、是を空しく棄つること勿れ。徳なきとて悲しむに及ばず。徳高きとて慢ずること勿れ。されば其人格とか品位とか云へるものを探るには、正しき個性を知るにあらざれば、唯その人の心のみを観察して判断するは誤ちなり。個性を知ると云ふは彼の魂の程度を計らざるべからず。先にも語りし如く心は法なり。魂は大師なりと語りし如く、その大師をたづね求むるにあらざれば、個性の如何を知ること難し。
 例へば世人は気の狂ひし人を見て、彼は狂人なりとして一種の病人の如く、何事をも取り上げざるべし。狂人とは何かを考へしことありや。世人の考へにては狂人は心の乱れたる人なりとのみ思ひ居るならん。故に狂人に与ふる薬なしと語り居るにてはあらざるか。もとより心の狂ひし人は病人に相違なけれど、其事柄に対して現在の医学にては、唯脳の欠陥なりとして取り扱ひ居るにすぎざるならん。
 是を我等に云はしむれば世人には頭のすぐれたる狂人のあまりに多きを知る。脳の偉大にしてすぐれたるに不拘、狂人はあまりに多し。宗教者に狂人あり、学者に狂人あり。智者に狂人あり。政治家に狂人あり。あまりに狂人の多きを我等は知る。其狂人に対して世人はすぐれたる人として、崇拝なし居るは何と云ふ愚かさぞ。一種変りたる人を見て、彼は偉人なりとして尊ぶ如きはあまりに智慧なし。我等の偉人と思ふ人は汝等の世界にはあまりに少なし。大抵は偉人にあらずして、異人は多し。二流界のことを語るに先だち話は横道に這入りたる感あれど今少し語らせよ。是は世人の修養に対して極めて重大なる意味を有するが故なり。一つのことをなし遂げんとして其にのみ心を奪はれ居らば他の方面には無関心となる。故に心はその一つの事にのみ囚はれて、他の事を考へざるによって心は其物にのみ固着してはなれず。故に狂人となるなり。然して肉体のはたらきは心に同化せず。遂に故障を生じて果は脳に異状を来し、真の狂人と化せられること多からん。かかる例は少なからざるべし。

×

非ログインユーザーとして返信する