未知日記霊話集千六百六十一回  帰途案内記 NO81 我等の説を聞きても世人の眼は地上にのみうつり居りて、我等の方向には眼をむけざるが故に、五大鏡を見ることすら難きなり。慈音の如き盲者と雖もまなこをむくれば、五大鏡を見る力を与へられたるにてはあらざるか セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 81
セイキョウ貴尊 講述

                    
 現今汝等の世界を観望するに、その悉くが大地を這ひまわる信仰者のみ多くして、空間に信仰をおく人稀なり。小さき地球に囚はれて天界の安きを知らざるは、地球に執着を感じ居るによってならん。地球は軈て亡ぶべし。
 動物学上より推理するも明らかなる如く古代は大なる動物が育ち居りたるに、現在はすべての動物が小さくなり居るにてはあらざるか。是等より推理するも、地球の寿命は長からざること察するならんに、未だめざめざるは是未だ大地に執着なし居る故なり。さればこそ人智はその執着に囚はれて進まず。されば早くめざめて空界の広きにまなこをむけて、今後の方策を構じなば、地球の亡びざる間に明らかなる世界は現出し来ることに心づかざるは愚とや云はん。悲しむべきことにてはあらざるか。一寸先は暗にてはあらざるなり。一寸先には光明の世界あり。何ぞ憂うるに足らん。汝等は一寸先を暗なりと考ふるが故に、大地に執着するなり。早くめざめて一寸先の光明に浴せよと教ゆるものなり。
 汝等の眼は大地にあり。まなこを天界にむけよ。大地は暗黒にして天界は光明輝き居るにてはあらざるか。汝等の眼は下方の暗きを見て、上方の明るきに頭をそむけ居るによって見る事を得ざるなり。さればこそ蛇は冬ともならば穴にもぐりて暗きに入る。蛇の末路はかくの如し。汝等蛇信仰をすてて早く天界の明るき処に、安らかならんことを望めよとすすむるものなり。余事にわたりたる感あれど決して余事にあらざるなり。我等の説を聞きても世人の眼は地上にのみうつり居りて、我等の方向には眼をむけざるが故に、五大鏡を見ることすら難きなり。慈音の如き盲者と雖もまなこをむくれば、五大鏡を見る力を与へられたるにてはあらざるか。汝等の信仰はすべて伏鼠信仰雑種信仰なるによって、蛇の如く地上を這ひまわり居るが故に、穴にもぐらんとする傾向ありて、天界の方向には眼をむけず。故に我等に対しても眼を向けずして、背後より聞き居るが故に通ぜざるなり。蛇の耳はうとし。彼は肉体の触覚と目によって感ずるものにて、耳の力はうときなり。汝等も其と相似たる信仰をなし居りては、我等の説を正しく把握することは得難きを知るよって、かくもくだくだしく論旨をすすめたるなれば、我の説を聞くに対してまなこも耳も、共に我方向に向けて聞くべし。然することに依って、五大鏡を見もし八大門を見学して、空実共に具はりたる信仰を得よと教ゆるものなり。慈音の如き者にして見聞する事を得るによって、汝等もかくなることを得る力は備はり居るを知るならば、万人共に天界に入るは易しとは考へざるか。慈音は特殊の人間にあらず。汝等よりも低き者なり。然るに彼は信仰の力によって、今は救はれ居るにてはあらざるかとの点より比較して、皆共に一様救はるることの難きにあらざる事を、早くさとれよと教ゆるものなり。 

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