未知日記霊話集千六百五十九回  帰途案内記 NO79 もし全宇宙の或星の光が汝等の地球上に輝きたりとして、何百億光年と計算なすことを得るならば、其は至って近き距離に置かれたるものにて取るに足らざる程の距離なり。斯くも今全宇宙は広大にして際限なし。さりながら事実は何百億光年と計算せらるる星ありとせんか、事実は何百億光年の程度の光は、汝等の地球には決して輝くものにあらず セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の二
転界の巻 
NO 79

セイキョウ貴尊 講述
                    
 全宇宙を五大鏡に照らして見る時、汝等の世界を照らし居る太陽は、那辺にあるかすら見ることあたはざるにて、まして地球など何処に存在なすやすら見ること難し。全宇宙を五大鏡に見る時は、汝等の地球は一個の稗粟粒にも及ばざる微々たるものなり。汝等地球上より星を見て、是は何拾光年何百光年など語りて驚嘆なし居れど、其すら未だ正しき見方にあらず。もし全宇宙の或星の光が汝等の地球上に輝きたりとして、何百億光年と計算なすことを得るならば、其は至って近き距離に置かれたるものにて取るに足らざる程の距離なり。斯くも今全宇宙は広大にして際限なし。さりながら事実は何百億光年と計算せらるる星ありとせんか、事実は何百億光年の程度の光は、汝等の地球には決して輝くものにあらず。其は有形なるが故に限度を有するによってなり。されど全宇宙の距離より考察して何百億光年何千億光年の譬喩にて語るならば譬喩として如何に語るとも全宇宙は測定することを得ざるが故に、その譬喩の言葉は成立すると知らば可ならん。
 汝等宇宙全宇宙の広大さを知らんとせば早く修養修業して五大鏡を見るべし。五大鏡を見る力汝等に具はらば全宇宙の広大さは見ることを得るなり。汝等の世界にて作りたる人智の機械にては到底是等を見きはむること難し。故に修養修業して神智を求めて五大鏡を見るべし。百聞一見に不如、筆舌をきはめて語るとも其は世人の脳裏に印象すること難し。
 人智をはなれて神智を求めよ。然らずば到底望は達し難し。よしんば神智を求めて是を見たりとて、唯見聞するのみにては無益の修業なり。己自らその処に自在に往復する力をそなへて、然して其うち己の好む安住の地を求むるに不如とは考へざるか。一枚の写真を見たるのみにては眼を喜ばしむるのみにて、事実その所に到らずば真の楽みは味はれざることに意を用いよと奨むるものなり。
 今欣情に対して慈音が語りし如く限度を有する世界には、すべてのもの悉く限度ありて、永久安らかに安住するものにあらず。されば限度を有する世界に置れあるもの死滅するものは兎に角、死滅せざるものその悉くが限度なき処に至らずば、安住することの難きは当然なるべし。此理を考へて道を進むにあらざれば、安住の地は得られざることも推して考慮せざるべからず。
 世人は限度ある世界に置れて一時の憩ひをなし居るにてはあらざるか。是と雖も人間として育ち行く経路に他ならず。軈てはその処をはなれて更に旅を続くるにあらざれば、目的の地に達することを得ずとの考へを起し、その信念を強くして油断なく歩みを進めざるべからず。求むる道とは何処を選ぶや。地球は稗粟粒にも足らざる所なり。其所を幾回めぐり居りても安住は得られず。されば広き空間へ空間へと伸びるにあらざれば、安住の地は得られざることも察するを得るならん。空間には限度なければなり。幼児の一歩にても高き処を好むを見ても察せられるならん。年老いて末期に至らば足より枯死し行くを見ても察するならん。

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