未知日記霊話集千四百四十三回 大霊界 無言詞の働きは空に属するか その2 所謂慈音は我を信じて念を増し、然して慈声を導く。もし慈音が誤ちたる信念ならば、我も慈音と共に奈落に落ちん。されど慈音の信念は奈落に堕ちるとも、決して我を怨むことなしとの信念あればこそ、彼は天界を観望することを得たるなり。故に慈声を奈落に堕すことはあらざるべし。否慈音が奈落に堕つるとも、慈声を決して危きに迷はしめる事はなさざるなり。我は確言して諸子に知らしめをくべし  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の三                         NO126  無言詞のはたらきは空に属するか、虚に属するか    その2                                                    教主寛大 講述



 仏教に於て不思慮底を思慮せよと云ふ言葉は、即ち未知を既知に変へよと云ふに等しかるべし。所謂信じ難きもの信じて、然して正しきさとりを得よとの意味ならん。是を我に云はしむれば、虚を空に変へよと教ゆるのみ。我、前講に於て汝等に課しをきたる問題は、是によって解決の道は開らかるる筈なり。考案工夫して早く我に回答を送るべし。
 空箱の中に手を入れて中をかきまはすとも、探り求むるものは得られざるべし。汝等諸子の考へは恰も其に匹敵す。空を探らんとせば空を以てせよ。然らずば空をさとることは難からん。実を探るに実を以てせば得らるる道理より、空を探るに空を以てせば何か得るものはあるならん。偉大なる発見をなさんとせば空を以て、空を探らずば実は得られざるなり。空の中にこそ偉大なる力は存在なし居ることに着目せざれば、到底天界の理をきはむること難からん。学ばんとせば師を択ぶにはすぐれたる智識者を尋ね求るにてはあらざるか。学ばんとする心は空なり。師を求むるも空なり。空より空を追ひ求めつつあるにてはあらざるか。師を択びて何を求めんとするや。慈音は我に従ひ来る然して彼は何を与へられしか。我は慈音に何を送りしか。彼は何を授かりしか。慈音は我より学びて健康の肉体と化したるか。然らざるべし。然らば彼は何を求め、なにをか願ひ居るや。虚な空か。もし虚なりとせば彼は真に愚なる者にて、一生を訳もなく無駄に過したる敗残者となるの他なかるべし。のみならず慈声迄も共に空しき方向に引き入れて、彼女を無益のものになしたりとせば、何と云ふ罪業の深きことぞ。然してその責めは誰に帰するや。慈声慈音を空しきものに化せしめたる我なるべし。慈声と慈音が我と云う無形のものを信じて、空しく生涯を送りたりとせば、その責めを担ふ我は如何になるべきや。虚の信仰とならは゛斯くの如き結果となる故に、空の信仰ならざれば求むるも甲斐なし。然らば空の信仰は如何に化せらるるや。空を探るには空を以てせざれば、虚にては探り得らるるとも其は危ふし。故に空を求むるには空ならざるべからず。
 空を求むる。空とは何か。謂はずもがな、智慧なるべし。智慧は汝の魂に備はる。智慧は汝の魂なり。魂は智慧なり。魂によって魂を求むる魂の力は智慧なり。智慧によって智慧を求む。是空と空の同化なしたる姿ならん。空を探らんとする汝の魂と智慧は大切なるべし。智慧と魂の備はりあるによって是を延ばすには念の力こそ必要となる。念も空なり。信念即ち力なり。一旦信じたる以上たとひ奈落に墜さるるとも其は汝の罪にあらず。所謂慈音は我を信じて念を増し、然して慈声を導く。もし慈音が誤ちたる信念ならば、我も慈音と共に奈落に落ちん。されど慈音の信念は奈落に堕ちるとも、決して我を怨むことなしとの信念あればこそ、彼は天界を観望することを得たるなり。故に慈声を奈落に堕すことはあらざるべし。否慈音が奈落に堕つるとも、慈声を決して危きに迷はしめる事はなさざるなり。我は確言して諸子に知らしめをくべし。

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