未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百六十回 絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 その眼目となるべきもののみとり入れて、他のものは棄てなば其にて足る。然るにその全巻を悉く心に記録し居りては、妨害となるもののみ多くして却て、眼目とすべきものを摂取することあたざるべし テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています

絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 
第九章
不滅母霊子と無言詞の関係


 例へば一巻の書物を読む時、 その書物の中には種々様々の事柄あれど、その中に含まるるものはきはめて少なし。他は参考となるべき資料に他ならず。 故にその眼目となるべきもののみとり入れて、他のものは棄てなば其にて足る。然るにその全巻を悉く心に記録し居りては、妨害となるもののみ多くして却て、眼目とすべきものを摂取することあたざるべし。すべては此理なり。学問はなすべし。されど辞引にはなる勿れと教へ居るにてはあらざるか。 幾千言を聞くとも帰するところは、主題に帰するにてはあらざるか。その主題なるものを道理によって明らかならしめんとするに他ならず。故に主題と道理とのみ知らば、他は棄つるに不如とは考へざるや。修養修行とはかくの如き底のものにて、その真髄をのみ取り入れて養分となし居らば其にて可なり。理に合はざるものならばいさぎよく棄つべし。物知りとなる勿れ。覚者となることに努力せば可ならん。話は横道に入りたる感あり。もとに復すべし。
 我等が常に語り居る如く文章とか辞句とかに囚はれず、唯その中に含まれある真髄を把握せよと、語り居るは是なり。辞句に囚はれ文章に囚はれて、彼是論議なし居りては、その真髄を把握すること難きのみか、却て迷ひのみ深くして修養修行の妨害となり、徒に光陰を空しくするにすぎざるべし。 よつて常にかく語り居るなり。されば無言詞を有言詞に化せしめて、是を理解する力に化せしむれば、其にて行は全きを得るなり。 如何なる事柄が身に振りかかるとも動ぜずさわがず、 唯一心にその方向に向ひ居らば、自づとその道を開らく具備は諸子の魂に宿されあるが故に、何日かは目的を達する事を得るなり。されば多くのことを聞きても、その中より参考資料となるべきものを取り入れて他は捨つべし。然らずば無言詞の意味を確実に把握すること難からん。
 諸子には言葉を発する具備ありて其によって用を弁ずることを得れど、他の動物には斯る具備あらざるが故に、 他の方法を用いて用を弁じ居れど、帰するところは己が思ひを言葉なき言葉によって、伝へ居るに他ならざるなり。諸子の中に唖者と云ふあらん。 是等の人は他の種々様々の法によって、己が意中を語りて用を弁ず。 所謂他の動物と異なるところなからん。 語らんとするに言葉なく、言葉なければ己が意中を伝ふること難し。然るに其が霊界の人ともならば、何によって用を弁ずるかを、諸子は仮に考へ見よ。姿あらば何か形によって伝ふることも得るならん。 されど形なくしては何によってか伝ふることを得るや。諸子には到底その真を究むること難からん。斯く語らば諸子は思ふならん。姿形あればこそ、種々様々の思ひが湧き出づるなり。もし姿形なければ、何等の感想も湧き出づるものにあらず。何等の感想も湧き出でずば、言葉も更に必要はなかるべしと。斯く考ふるは諸子の思ひなるべし。形なき霊界の人とならば、何等の感じも湧き出でず、又何等の任務をもなすの用もなからんと。 然しながら仮に諸子は肉体を失ひて、霊のみ残り、其が種々様々の悩みを有するならば、如何にしてその苦みよりまぬがるることを得るやに、思ひを致し見よ。形あらば言葉にて他に訴へ、又他にたのみて苦みより救はるることもあらん。されど姿なく形なくし苦みのみ残り居らば、如何にしてその苦悩よりまぬがるる事を得るや。諸子は夢にうなされて他に対して救ひの声を求めて通ぜず。醒めて肉体より汗を出してその夢の恐怖を物語ることすらありしならん。 その夢は形のあるによつて醒むれば消滅すれど、もし其が姿なくして醒めずば、永久苦みより悶え迷ふの他なかるべし。 我、斯く語れば諸子は他事の如く思ひて、何等意中には止めざるならん。 智者も学者も常人もみな、然あるならんと我等は思ふなり。 肉体の変調によって夢にうなさるることは是非なし。されど肉体なければかかることのあるべき要なしと思ふが故に、我等の言葉にはあまり重要視せざるならん。 事の実否は兎に角として、もしあるとして修養修行の道を求めんことを望む。所謂ころばぬ先の突張りとか云ふ比喩の如く、予めその事柄に対して肉体を有する間に備へをなしおかば、たとひ肉体滅後に於て斯ることの襲ひ来るとも、防禦策は構じらるるならん。仏教者の多くは無常観より来世を語り後生を得よと教へ居れど、諸子には其を一種の方便として聞きのがし居るところ少なからざるべし。

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