未知日記霊話集千百四十七回 光明論 下巻 巻の九 修験者たちは此門の原理を応用して同志相互に通信なし居るなり。謂はば汝等が日常使用し居る電信電話の如しと知るべし テツシン貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 フ ク の門
八大門とは宇宙製造機のこと



                  テツシン貴尊 講述
                    

 一時的の元気は作り出せしものなれば忽ちにして消滅す。正しきさとりに依て自ら湧き出づる元気、是フクと名づけしこの門の名称に附したるフクは、すべての福に通ず。仕合はせもフクなり。楽み喜びもフクなり。財宝を求め心に徳を求むるもフクなり。貧しきより富貴によみがへり不健康より健康者によみがへり、地獄より極楽によみがへも皆フクと考へて可なり。此門の名称については巻末に於て大要を語るべけれど、フクの門とは先づ斯かる意味の含まれあることに留意して考究を進むる参考とすべし。
 青壮年は前方に進む気力強くして退くを考へざるは後方を弁別(わきまへ)ざるによって一方に偏するに過ぎざれば誤ちは多し。若し是が方法に合ふ気力なりせば決して過失を犯さざるべし。されば老年期に入らば如何にと云ふに肉体的より受くる気力減退は勿論なれど、一面分別的気力衰退するは是熱情が低下するにより、即ち一方に偏するはコゥの門の説明を参照せば明白なるべし。されば老若を問はずフクの門の修養修行せざるべからず。即ち大陽には小陰を従へ、大陰には小陽を連行して一方に偏らぬ練習を学せば可ならん。世の中にややもすれば身分を惜しまぬと云ふ慓悍(ひょうかん)なるものあり。世に云ふ侠客とか称する徒輩に多し。是等の心理状態を見るに一種の変態性にて真実さとりたる人にあらず。彼等は彼等の仲間に於て与へられたる約束暗示の現はれなるもの多し。一度死すれば二度死せじ。生れぬ昔と思へば諦めらるると云ふ言葉の暗示が深く彼等にはたらき居るならんと思ふなり。故に彼等の明らめは余儀なき諦めにて覚りたるにはあらざるなり。汝等無謀の明らめをなす勿れ。斯る明らめは悔を残せばなり。
 其は兎もあれフクの門を肉体に比較すれば神経に相当す知るべし。知覚神経運動神経感応神経等々神経はフクの門より作られたりと考ふるも可なり。然してフクとは感応を意味し又結合を意味す。故にすべてを融和せしむる力を有す。修験者たちは此門の原理を応用して同志相互に通信なし居るなり。謂はば汝等が日常使用し居る電信電話の如しと知るべし。汝等未だ修行至らざれば此門を見究め又聞きわくる能はざれど多く集り居る者の中にはすべてを見究め聞きわくる者も少なからず。彼等は此門を応用して種々様々の事柄を究め取らんとなし居れり。汝等我講義を聞く者よ。汝等も再度此門に来る時は事実をたしかめ得る底の修行を重ね来るべし。我今彼等が発信し又受信しつつある中に汝等修養となる二三を語りきかすべし。汝等が知る言葉に訳するはいささか困難なれど概要を理解するによって満足せよ。

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