未知日記霊話集千百四十六回 光明論 下巻 巻の九 宗教者が種々様々の方面より神を知らしめんとして修行者自らすら迷ふなり。セイキョウも我も汝等に語りし如く、神を知らずば汝が心に神を作らば如何にとさへ教へたるは、信仰を得せしめんが為の方便なりき テツシン貴尊講義

未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 フ ク の門
八大門とは宇宙製造機のこと


                  テツシン貴尊 講述
                    

 汝等神と共にある事を知りながら神を見ざるによって神を忘るるなり。神ありや無きやを正しく認識せざるによって迷ふなり。宗教者が種々様々の方面より神を知らしめんとして修行者自らすら迷ふなり。セイキョウも我も汝等に語りし如く、神を知らずば汝が心に神を作らば如何にとさへ教へたるは、信仰を得せしめんが為の方便なりき。信仰の道開かるれば自づと神の姿は心の眼に映じ来るに依て、赫々たる光明は輝く。されば心の持ちかた気の持ちかたを適度に定むるには、フクの門の如く規律正しく法網に従はざればあるべからず。汝等の如く気をゆるむれば法網を破りたるなり。法網よりのがれんとするなり。気をゆるむるは法網をのがれんと計るなり。悪事をなす者は気を変へんと企む故に、気をゆるめたるに類す。何となれば如何にかして法網よりのがれんと謀る故なり。
 例へば盗人は警官の眼を怖れて逃げ惑ふ。是二心ある故にて表裏は働く故に一方に偏するによって、一方にゆるみを生ずるなり。即ち盗人は盗みの悪事なるによって善行をゆるめたるなり。我斯く語らば汝等は云ふならん。即ち善人は悪をゆるむるにはあらざるかと。然り、然あるなり。汝等の云ふ如く善人は悪をゆるめ居るに過ぎざるなり。かるが故に悪をひそかに行ふなり。善悪ゆるみなければ善悪共に公に行ふべきに、然らざるは一方にゆるみ居るによりてなり。然るに善事は法網に触れず、悪事は法網に触るるを怖れて行はざるのみにて、もし悪事も法網に触れざるならばゆるみは無かるべし。人は悪事は抑圧に制せられて行はぬに過ぎざるなり。神は人を恐れしめんが為に法網を作りしにはあらず。全宇宙を生かさんが為に組織したる機械の如し。あやまって用ゆれば負傷し或は人命をも断つと同様なり。法網を冒すとは機械を逆転逆用なすに等し。故に悪とは恰も機械の使用をあやまち用ゆるを悪しと云ふに過ぎざるなり。
 汝等に神の道を語るも宇宙製造機の原理と構造と使用法の大体を教へて危険より免がれしめんが為なりと云ふも可ならん。神は凡てを造りて是を育てんが為に設けたる機械に触れて、汝等は己と己、我と我勝手に負傷して神を逆恨みなし居るなり。
 其は兎に角汝等は哲学と云へばしかつめらしき言語符号を用いて理解は容易になす能はざる底の如く考ふるは誤りなり。其は符号学にして哲学にあらず。哲学とは読んで文字の如く明るき学問ならざるべからず。近来の哲学は余りに理窟的なるもの多くして哲学としての価値無きもの多きは遺憾なり。我等に言はしむれば推理学と称して可ならん。貴重なる紙面を無益の論旨に汚せしを謝してさて本論に復すべし。 

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