覚者慈音198  未知日記講義第一二巻  大霊界  大霊界とは神の世界か  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO150
 大霊界とは神の世界か            その7                                                   教主寛大 講述


 道を歩むにあたっても眼、耳、鼻、口、足すべてを道にまかせて歩み居らば怪我過誤はあらざれども、足にのみまかせて他をまかせずばつまづき倒るる等の過失を犯すに等し。すべて信仰者は身心悉くを信ずるものにまかす修業をなさざれば、望は達し難しと承知して励むべし。我等よく聞く処なるが汝等諸子は云ふ。我は神を信ずると口になし居りながら不善を行ふ輩は多し。是等は正しき信仰者にあらず。神を眼の前にをきて不善をなす如きことを信仰と心得るや。神を知るならば不善はなさざる筈なり。斯るものにして神を知るなどとは我等には少し合点することを得ざるなり。宗教者の多くはこの類の人に多し。宗教者にして信仰と云ふことを知らず、唯神ありとのみ教へ居るにすぎざるは何と云ふ愚なる事ぞと苦々しく思ふなり。神の有無に不拘不善を厭ふ人は正しき信仰者なり。汝等諸子よ、神の有無を論ずることなく不善を行ふこと勿れ。不善を行はずば是正しき信仰者なり。故に不善を好まざる人となれよ。聊か宗教めきたることを語りたり。されど不善を厭ふ人は正しき道を歩まんとする人に多し。正しき道を歩まんとするによって不善を厭ふなり。故に是等は正しき信仰者と云ふとも敢て過言にあらざるべし。正しき道を歩むに何ぞ神に憚ることあらんや。神の有無を論ずるの要もなからん。神を知りて不善を行ふ如きは神を知らざるが故なり。其は神にあらずして悪魔を神と思ひ居るに等し。汝等諸子よ、悪魔に囚はるることなかれ。汝等諸子の世界の宗教者には口に神の道を称へながら、己不善を敢てする者の余りに多きを我等は見る。実に言語道断と云ふの他なし。彼等は魔道を拡め居る人なりと云ふとも差支なからん。己、神を知らずとも不善を行はざる人ならば是は、神に愛せられて何日かは天界に迎へ入れらるること疑ひなし。故に神の有無は知らずとも可ならん。神を論ずる暇あらば不善を犯さざるやぅ留意なし居らば其にてよし。徒に神を彼是論ずることを止めよ。有と思ひ無と思ふも迷ひなり。迷はんよりは悪心をひるがへして心の持ちかたを正しくなし居らば神の愛は汝に至らん。然することによって大霊界は許さるるなり。清浄無垢の心となりて速かに天界に来たれ。我等は是を祈るのみ。
 大霊界の様を聞きて是を知るのみにては何等の価値もなし。来りてはじめてその味を知るにあらざれば望は達し難し。清浄無垢の心となれよ。清浄無垢の心となるには汚れたるものをぬぐひ去るにあらざれば得難し。善と云ひ悪と云ふも皆汚れなりと承知せよ。善悪を超越してここにはじめて無垢となる。善を考へ悪を考ふる間は無垢にあらず。善悪を考へざる清浄無垢となる信仰を強くせよ。

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