覚者慈音88 第十二巻 大霊界 実在的と空虚的の理論 その2 教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                                                      NO 47                       
実在的と空虚的の理論         その2   
                                                                                                          教主寛大 講述


 人間の運命程測り難きものはあらざるなり。世の中より愛せられ多くの人より慕はれ居たるものが、不慮の災害を受けて生命を失ふもあり、世間より指弾きせらるる人が思ひもよらぬ幸福を得て喜ぶもあり、真に世の中の事柄は千差万別にして計り難し。是等の事柄と雖も無言詞の原理をたしかむれば、その悉くが皆自然の現はれにして敢て不審するには足らざるなり。無言詞の原理をたしかむれば、人間の運命開拓は敢て至難にはあらず。
刹那々々の事に囚はれ居るが故に、すべては不思議と云ふの他なきなり。現在汝等の世界は破壊時代なるが故に人心安からず。混沌として名伏すべからざる時代を現出なし居るなり。わけても日本などはその極に達し人道はすたれ、謂はば悪人の世界と変化し、はびこり居るものは凡て悪き方向にのみ足を向けて、善の方向には眼をむくるものすらなき時代となりたり。真に悲しむべきことならずや。
 余りにも生命を粗末になす人の多きは是宗教者の罪なり。大切なる魂を有しながら、魂などあるべきことなしとて、肉体にのみ囚はれ居りてその生活がすべて肉体的なるが故に、人道はますます低下し動物性より、更に畜生道に転落なしつつあるを見る。実に遺憾ののきわみなり。人命を奪いてその肉を喰うものを、野蛮人とか称へ居りし日本人が、今や其を平気にてなし居るにてはあらざるか。是即ち畜生道に転落なし居る姿なり。口にのみ国土再建を称へ実行にはかかる野蛮行為を、敢てする人心が持続する以上、国土再建は思ひもよらざるならん。早くめざめては如何! 然らずば無言詞界などへ移さるることは思ひもよらざるべし。
 日本の古来は遊女と雖もすぐれたるもの多かりしなり。肉体を売る遊び女にすら貞操正しきものもありしに不拘、現在は如何! 遊び女ならざるものが貞操を金に換えて得々たるは何と云ふ愚なることよ。もし現在の婦女子にして魂ある事を知るならば斯る愚なる事はなさざるべし。余りに余事にわたりたり。兎に角動物性をはなれて、人間性の方向に足をむけよ。心に感じ魂に感じ霊に感ずるに至らば、無言詞も有言詞となりて現はる。されど現在のままにては有言詞も無言詞に変じて、何等の用を弁ずることあたはざらん。古来より尊き教へを受けて、その教へに従はざるが故に、有言詞も無言詞となりて消滅なしつつあるは事実なるべし。教へを受けて従はずば有言詞にあらず。是等の関係より推測する時は無言詞とは如何なるものかについて工夫する端緒は開らかるる道理あらん。

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