覚者慈音972  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の七  正悟と迷悟 慈音の戒がとかれる  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音972
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
正悟と迷悟

慈音の戒がとかれる



                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.5.06
                      242番


 覚者は唯一言不憫なる者よとの言葉は池水の樋をあけたる如く田のあぜを切りたるに等しかりしなりと覚るべし。賢者の誡めは改めしめんとの我意ありて教ゆるにより是は悟を得たる人とは云ひ難し。たとへ智慧優れたりとも唯一時悔ひ改めしめたるにすぎず。是を己と云ふ一個の否一枚の襖の隔あるに依てなり。然るに是とは全く反対に覚者は息子の放蕩をなじるにもあらず。又品行を改めよと勧むるにもあらずして唯彼が顔を熟視して彼が魂魄の程度を見きはめ、然して彼が決断力の乏しき性格なるを看破したるにより、一言不憫の者よと口外に現はしたれど覚者の心中には尚残存の言葉ありしなり。其残存の言葉と云ふは汝は汝の行ひに対して善良ならざることを自覚しながら、是を改めんとするも改むるを得ず。内心の労苦は日夜堪え難し。汝の魂は速かに彼を救ふべしと。此無声の言葉が覚者の霊より息子の霊に伝はり、息子の霊は其に依て躍動して自分の魂魄を洗ひ浄めたるに依て、彼の優柔不断なる弱き決断力はここに全く一掃されて、堅固なる意志となりて初めて改心なしたるなり。智者と覚者の相違は斯くの如し。汝等是には諒解なしたるならん。智慧優れたりとて魂魄の智慧にては悟は得難し。されば真の正悟とは霊の智慧に依らざるべからず。
慈音よ。今日は三月十五日即ち汝の戒律のとかれ許さるる日なり。心を和らげ身を慎みて時の至るを待つべし。汝に架せられたる問題の答は正しきにより是は先づ安心して可ならん。されば今日は我講演は見合せて汝が心に余裕を与ふることとせん。
 我、テツシン、教主にかはりて命を下す。慈音よ。汝の修行は達せられ、ここに戒律をとくべし。今後と雖も尚一層精進せよ。是は教主の言葉なり。
慈音よ。今は三月十五日約束の夜六時を以て汝の戒はとかれたるなり。我、テツシン、セイキョウと共に喜ぶ者なり。依て祝すべし。
今貴尊が教主の命をもたらして戒をときたり。慈音よ。汝の労苦は空しからざりしことを我も悦ぶ。然れども汝の責任は今後一層重くなるべし。又汝、今後に許さるる通天の行は単純にあらず。簡単にあらねば一層労苦を増すならん。

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