未知日記霊話集千八百十六回  帰途案内記 NO232 絶対に属する霊空界なるが故に此界に生れたる人種は、人間の最高位に置れたる人種なりと云ふ事の理も、推して知ることを得るならん。是を易学にては太極と云ふ。太極分れて陰陽両儀と名づけ居るも是なり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
天職と人職について
セイキョウ貴尊 講述
                     


 絶対に属する霊空界なるが故に此界に生れたる人種は、人間の最高位に置れたる人種なりと云ふ事の理も、推して知ることを得るならん。是を易学にては太極と云ふ。太極分れて陰陽両儀と名づけ居るも是なり。即ち空源体性分れて気源体性及び光源体制(すべて仮称)は、即ち陰陽両儀に相当す。故に気源体性は陰性にして、光源体制は陽性の関係となる。されば気源体性にも陰陽あり。光源体制も亦陰陽に分るると知るべし。斯くして宇宙は次第次第に拡がり行きて、網の目の如く作られたる事より考ふれば、従来より語り来りたるすべての事柄は自づと認識する事を得るならん。はてしなく拡がりたる網の目と雖も、その順序に従ひて逆上れば、太極に帰るは当然なるべし。世人の修養修行はすべて陽性にのみ囚はれ居て、陰性をおろそかになし居るが故に、一方に傾きて真理を発見する事を得ざるなり。所謂世人の修養修行は光源体制の方向にのみ向ひ居るが故に陽性一方となる。又気源体性にのみ囚はれ居りては是又陰性一方となるなり。光源体制にのみ囚はれ居りては光気素の修行となり、気源体性にのみ囚はれ居りても亦光気素の修行となるなり。故に是が両者一体化したる陰陽何れにも囚はれず進む事によって、はじめて気光素の修養修行となるにあらざれば、正しき世界を作ることは難し。ここに注意することあり。
 光源体制にも気源体性にも、気光素と光気素の関係ある事に留意せざるべからず。気光素の関係は用いる法の如何によって或場合は光気素となり、また或場合は気光素となる。故に光源体制に於ても気源体性に於ても同様の関係ありと知るべし。所謂着眼するところに於て光源に向はんとせば光気素となり、気源に向はんとせば気光素となる関係あるによってなり。更に進んで空源体性に重点を置ば真の気光素となるにあらざればことに留意せざるべからず。
 例へば初対面の人に対して其人の人格を知らんとして姿より観察する時は、其は光気素となり、又是を心より観察せんとする時は其は気光素となる。されど是等はすべて心と心との対照にして帰するところは、光源体制の方向に属するが故に、ここに誤ちたる観察をなすこと多し。

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