未知日記霊話集千百五十七回 光明論 下巻 巻の九 神の下僕のなし居る業は使命を果したる者を択び天界に運びつつあるなり。故に彼等は寸毫も休む暇とてはあらざるなり。是が汝等なりせば悲鳴を上ぐるならん。されど神僕は斯ることなし テツシン貴尊講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第四章 セ ン の門
永遠永久不変の世界へ


                 テツシン貴尊 講述
                   

 斯くも偉大なる法網なれば一度誤ちて網に触るれば負傷の苦痛を免がれざる事は察せらるべし。汝等あやまちて負傷して神は何故に我等に、責を与ふるならんかと神を逆恨みすること勿れ。汝等は法網の理と其使用法を知らずして機械に手を触れたるなればなり。神は恐ろしきにあらず。法は怖ろしきなり。否機械は恐ろしきなり。故に此機械の成立を詳かに会得せば何等の不安もなく、易々と此機械を運転して神の許に帰ることを得るなり。神は宇宙全宇宙を造りたる終始なき者なれば全宇宙と共にきはまりなし。されど宇宙は始めありたれば終りあり。此事柄より推理せば不変に相当する全宇宙の中心に復せざれば、永久の安全は得られざるは当然にして又も組織より組織への道を歩まざるべからず。斯ることを繰り返し居ては永久の苦はまぬがれ難し。されば最終のセンより更に不変の界に帰せざれば三満一欠はまぬがるるを得じ。故に此門をセンと云ふなり。
 教主が出座に際し又立座に対して厳戒の辞(汝等が世界日本語に訳したる言葉)は凡ては此理に合ふと知るべし。即ちセンとは択ぶの意味の範囲を拡大して通ずる言葉なり。例へば稔りたる米の藁をとり籾をはぎて米となし、臼につきて糠を去り一方には此籾を再び土に下すよぅ選ぶはセンに相当すと考ふべし。米は本来の使命は食さるるにあり。再び三度地上に下(おろ)さるるも亦使命なるべし。人生にありても是等の関係あり。任務を完全に果して再び三度下界に下るると、任務を果さずして再び三度下界に墜さるるの二種あり。前者は徳そなはりて指導者として下され、後者は残務整理者として落さるる故に、是等の相違は雲泥の差あるは勿論なり。同じ再来するならば下さるる人となるとも、墜さるる人とならぬ用心肝要なり。
 汝等此何極万なる夥しき光明に向ひて我使命の光明よ来れとよびかけ見よ。忽ちオーと答へて来らん。汝等の許に来りしは一個の光明をたづさえし神僕なり。彼は汝等に何を語りしか、曰く、汝の任務は是なり。忽(ゆるがせ)にすべからずとて、汝の身心全部を清めて帰りたらん。浄められたる汝の身心の状態は如何。生れて初めての快感を味ひしならん。其気分を忘るる勿れ。神の下僕のなし居る業は使命を果したる者を択び天界に運びつつあるなり。故に彼等は寸毫も休む暇とてはあらざるなり。是が汝等なりせば悲鳴を上ぐるならん。されど神僕は斯ることなし。即ち働きて倦むことを知らざるも永久不変の世界にのみ見らるる現象なり。何となれば時間空間の限度なければ働きて疲れを覚えず、又眠ることなく食する必要もなく悲しみなければ心を特に楽ます娯楽の要なし。故に働労は汝等の世界の娯楽に等しきなり。斯ることの意味は汝等に口をきはめて説ききかすとも到底理解する事を得ざるは当然なり。何となれば汝等には日々変化あるを好めばなり。

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