覚者慈音663  未知日記 第三巻  念力集    伊東慈音

覚者慈音663
未知日記 
未知日記 第三巻      
念力集     
        その1      暗の巻
       雑念の働きにつきて


                 ミキョウ貴尊講述
                 テッシン貴尊講述
                 円海大師講述


 雑念は常に脳裏に去来して一心一念を妨ぐることは、既に何人と雖も体験する処ならん。雑念多き人は精神統一をなすこと得ずして苦めらるるものなり。書物を読みてもために頭に入らず。人と談話しながら其要件を訳なく聞きて、悪しき事にも承諾をなし後に後悔することさえあり。斯くの如くにては気光素の作用を喚び起す念力は得られざれば、雑念は成る可く起さぬことを工夫すべきなり。思慮分別乏しき人、又は決断力鈍き人は雑念空想多き故なり。雑念多きは小才の働きにして、大業は成就し難き人なり。大業をなさんとせば雑念に囚はるることなく一心になさざるへからず。小才のきく人は雑念より疑問を起して、人を信じ用ゆる力無ければ、他より見放さるる結果、すべて物事成就なし難し。雑念は心の空虚を襲ふ。故に心に隙ある事を教え居るなり。
 故に雑念除去せんとせば心に隙を作るべからず。何事も真剣味を欠くために、雑念は起ると知りて常に精神統一を計るべきなり。雑念は叢雲の如きものなれば、完全に除去するは到底なし得べきものならず。然れども捨てをく時は雲重なりて日月をかくす。故に常平常気光素の嵐もて吹き払ひ、太陽の光を仰ぎ居らざれば、心は陰鬱となりて、病魔の襲ふ処ならん。
 念仏題目を称えながら雑念にさえぎらるる人もあり。斯くては往生極楽は望まれざるべし。腹の底より称ふる念仏題目をなさざるべからず。雑念より受くる害は多くして益は少なし。中にも妄念執念は生れ易きものなり。無我無心無念無想等と云ふことを得んとするとも、雑念のため妨げられなかなか是を取り去ることを得ず。静座するも其が為に時間を空費するに過ぎざること多し。雑念空想多き人は、身体虚弱にして強健ならざる故に、睡眠不足して夢を見る。即ち食物は消化力にぶり、胃腹を害し、筋肉平衡を欠き何事にも倦怠を感ずるを以て、物事進捗せざるため神経は焦ち、癇癪を発揚して、果は神経の衰弱によりて一層苦痛を及ぼす。故に運動をよく行ひ何事か身体を働かす道を考へて、除々に雑念空想を払ふべし。即ち雑念空想は間隙より来るなりと思へば、肉体を労働するに依て、雑念を生ぜしめざるよう心がくべきなり。身体強健ならざるが故に、決断力はにぶり、是をなさんと心のみあせれど事を行ひ得ず。果は精神苦痛症に悩まされて狂人の如くなるなり。慎みて身体を働かし雑念を起すことなからしむべし。雑念は路傍の草の如くにして、ぬけどもぬけども絶ゆることなし。故に此種子をとる工夫を考へて、心に種子を入れざることを計るべきなり。  

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